邪道【中日ドラゴンズリーグ優勝 1974年】 記念メダル

 1974年のプロ野球は、セ・リーグは中日、パ・リーグはロッテが優勝し、日本シリーズはロッテが獲っている。よく「人気のセ・リーグ。実力のパ・リーグ」と言われるが、プロ野球優勝記念メダルを並べてみると、セ・リーグの優勝メダルのほとんどが「リーグ優勝」止まりであることがわかる。「人気のセ・リーグ。実力のパ・リーグ」は、事実なのである。

 また、意外と(と言ってはナンだが)、中日の優勝が結構ある印象である。優勝回数が一番多いのはもちろん巨人なのだろうが、記念メダル数の印象ではヘタしたらそれよりも多い印象である。メダル数でいえば巨人の次が一応阪神なのだが、広島、ヤクルトとこの辺はどっこいどっこいな印象(ただ阪神の優勝記念メダルは異様に出回っている数が多い。ファンの多さに比例?)。逆に最も見ないのが横浜である。記念メダルも1998年の優勝時の記念メダルが確認できているが、茶平製か微妙なデザインであるところが、邪道記念メダラー達をもってしても購入をためらわせるところであろう。どうなんですかね? どなたか知っていらしたらぜひご一報を。

 1974年の中日ドラゴンズのリーグ優勝は、20年ぶりの優勝であったらしい(ちなみに2度目)。優勝を決めた試合の勝利投手はかの星野仙一で、試合に勝ち優勝が決まった瞬間、監督時代にもよく見られたあのガッツポーズをマウンド上でキレよく行い、喜びを爆発させた。

 が。

 中日が20年ぶりのリーグ優勝を決めたまさにその日、後世に残っているのは、星野仙一のガッツボーズではない。それどころか、この日に中日が優勝を果たしたことすら、人々の記憶からは消え去っている。「中日が優勝? ああ、そうなんだ」というくらいで、「そうなんだ」と答えた人も、一週間後にはきっと忘れていることだろう。もう一つの出来事は決して忘れないだろうに。

 この日、他に何があったのか。

 長嶋茂雄の引退セレモニーである。 

 

 

「我が巨人軍は、永遠に不滅です」の前に、中日の20年ぶりのリーグ優勝は永遠に滅してしまったのであった。前年までの巨人のV10を阻止してでのリーグ優勝にも関わらず、新聞一面の一番目立つ場所は長島が飾ったらしい。

 そりゃ、星野仙一が巨人を嫌いになるはずである(まあこのせいかはもちろんわからないが)。

 何も同じ日に引退発表をしなくても、というのが誰もが思う本音であろうが。しかしながら、あえて詳しい説明は省くが、いろいろタイトな日程がこの日にさせたらしい。もしかしたら、長島のセレモニーがさすがにリーグ優勝を食うなんてことにはならないという考えもあったのかもしれないが、残念ながら「みんなの長島さん」は名言を残してしまった。名言が一人羽ばたき、後世にまで残るものとなった。

 この記念メダルは、その失われた「74年の中日優勝」を、表舞台に再び立たせてくれるものである。このメダルの存在が、そのとき確かに中日がリーグ優勝という偉業を果たしたことを証明してくれるのである。

 ただ最大の問題が、肝心の記念メダルが表舞台に立つようなものではないということである。そのため、今もって74年は「長嶋茂雄が引退した年」であって、「中日が巨人のV10を止めた年」ではない。

 記念メダルでは、長島さんには勝てない。到底勝てない。残念至極。




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