ライブドアが輝いていたあの日あの時……
2004年のプロ野球といえば、なにを差し置いても「プロ野球再編問題」であるといえる。正直、中日のリーグ優勝とかどうでも良いくらいである(オイ)。一応備忘録として残しておくと、この年の中日は落合博満監督1年目のシーズンで、日本シリーズは西武ライオンズと対戦し3勝4敗で破れている。待望の落合監督誕生の年であり、後になるほどやり方にいろいろな不平不満が噴出する落合監督であったが「名選手、名監督にあらず」を打ち破る快進撃で、監督1年目にして結果を出した。息子・福嗣くんも大満足の年であったことだろう。
中日のGMとなってからはどうにもイマイチだった落合監督も、監督時代は間違いなく輝いていたし、世の中への影響力もあった。プロ野球人生第二の絶頂期であったことは間違いない。
しかしながら「プロ野球再編問題」の陰に隠れて、この年の優勝者などあまり記憶に残っていない。なんなら落合監督デビュー年であったことすら私は忘れていた。
この年の主役は、間違いなく「ライブドア」であろう。彗星の如く現れて、彗星爆発のごとく消え去っていった伝説の球団「ライブドア・フェニックス」(仮)がプロ野球という一つの伝統文化に一石を投じたことによって今まで溜まりに溜まっていたいろいろな膿が出まくることとなり、最終的には日本プロ野球初のストライキにまで発展した。再編問題自体はライブドアとは関係のないところで始まったできごとであるが、ライブドアが突如として近鉄買収に名乗りを上げたことによって大きく風向きが変わり、その後の楽天イーグルスの誕生やソフトバンクによるダイエーホークスの買収に大きな影響を与えたことは間違いがない。何なら横浜ベイスターズをDeNAが買収したことだって少なからず影響を与えているといえる。大きな意味では、今まで水物のように扱われていた「ITベンチャー」の存在を世の経済界に認めさせるできごとであったとすらいえる。ホリエモンがIT業界に新たな道を作ったことには間違いがないのである。全然好きじゃないけど。
プロ野球球団は回収の見込みがない経営資源
見出しのような正直すぎることを言ってしまったのは当時の近鉄本社の社長である。この発言は、当初オリックスとの合併を検討していたため水面下で交渉していたのだが、そのことを日経にすっぱ抜かれて否応無しに開かれた記者会見にてこぼれ出たものである。その時に明るみに出た近鉄の財政状況は誰もが想像していなかったくらいに悪すぎて、とりあえず「手放すのはやむなし」という空気があったことを覚えている。どこまでいっても日本の大企業の不景気の話は「バブル期」に行き着くのだが、死ぬほど聞き飽きた「当時の事業拡大が赤字に転落した」が起こって、有利子負債が1兆円を超えていたとのことであった。見方を変えれば1兆円借金できるというのは大企業の証であることよ。で、取引先銀行のUFJから球団を売却しろと再三言われて、ついに動き出したというわけである。近鉄バッファローズは年間40億円の赤字を抱えていたらしい。これもとんでもない額であるが、1兆円の後だと霞んで見えるマネーマジック。
こうして近鉄は球団清算のために動きだしたわけだが、ただそれは「合併」という形ではなく、「身売り」という形で−−つまりはチームとしてそのまま丸ごと存続する形が望まれた。現在のソフトバンクホークスや横浜DeNAベイスターズを想像すればわかりやすい。というか、今から考えるとソフトバンクやDeNAが誕生したのなら、別に近鉄も身売りでよかったじゃんとマジで思うわけである。しかしそれを許さなかったのが、大人たちの思惑というやつである。
「たかが選手が」と本音で話す正直な人現る
この騒動を機に、巨人オーナーの渡邉恒雄をはじめとした一部球団オーナーたちが、球団数を削減して1リーグ制にしようという構想を抱いていることが明るみに出た。これは、当時のパ・リーグはリーグ全体を通じて慢性的な赤字を抱えていたという周知の事実があり、長年放置されてきたこの問題を根本的に是正するという意図があった。「赤字問題を解決するため」という部分だけを見れば素晴らしいことなのだが、「球団を削減して1リーグ制」という現在のプロ野球体制を根本から揺るがす改革案がオーナー達のみの思惑であっさりと出てきたことで、選手やプロ野球ファンからはもちろん、各種マスメディアからも大批判を浴び今でいうところの炎上騒ぎとなった。
またこのとき、プロ野球には「選手会」という「労働組合」があることが、この問題を通して初めて世に広まった。当時のその会長が古田敦也だったのは「もっともだ( ̄^ ̄)」と世の中のみなが納得するところであった。当時、古田以外に大人の頭脳戦を戦える選手が他にいたとは思えないくらい、古田への信頼感は抜群であった。一方でオーナー側の代表といえばやはり巨人の渡邉恒雄で、渡邉恒雄の発言がオーナー全体の意思のような報道のされ方をされていたところがある。
で、この渡邉恒雄が言ったのである。「分をわきまえろ。たかが選手が」と。
どういう流れでの発言だったかというと、まず古田が1リーグ構想の話を聞きつけ、オーナー達との対話を求めた。しかしオーナーではなく代表レベルとの意見交換会しか実現しなかったため「代表レベルだと話にならないんで、オーナー陣といずれ会いたい」という発言をしたことを新聞記者がナベツネにチクり、それを聞いたナベツネが「無礼なことを言うな!」と激昂したというわけである。まあまず古田の言い分から考えるが、「代表レベルでは話にならない」というのはこれから意見交換を行う相手にとってもそれこそ無礼な発言であったわけだが、実は理にかなっていて、1リーグ構想はオーナーレベルで勝手に進められていた話であるので、それこそオーナー以外と話したところで話にはならないのである。一方で、ナベツネの「たかが選手」発言は世間から大バッシングを受けたが、読売グループの社長という立場から考えると、まあこのような本音が漏れでたのも致し方ない面があるといえる。どこぞの一社員が自分と口がきけると思っていること自体許せなかったのだろう(プロ野球選手は個人事業主だが)。自分たち(各球団オーナー)が用意した土俵の上で相撲を取らせてもらっているに過ぎない存在がぐだぐだうるさい程度にしか考えていなかったように思う。今まで築いてきたプロ野球の体制を大きく揺るがすことを特に広く審議することもなく雲の上だけで進めている態度からも、そのことが見て取れる。
選手会はあくまで2リーグ12球団の維持を求めた。しかしヘソを曲げたナベツネに全然相手にされず、選手達は自分たちの存在意義と威信をかけて、ついに9月18日、19日と史上初のストライキを決行した。これによって、新規参入の確約(12球団の維持)をようやく勝ち取った。
この事実をよく考えると、「プロ野球選手会って本物の労働組合だな」と感じる。公務員でもないかぎり、トップにたてつくなんてことは、なかなか難しい。しかも相手は、一企業の社長どころではない事実上の「プロ野球界」のトップなのである。そこから自分たちの要求を勝ち取ったのだから、すごいことである。世論が選手の味方をしたからこその勝利ではあるが、相手はマスメディアにも君臨する王様だったことを考えると、本来は世論を形成する側のそのマスメディアの力を押し切るくらいの勢いがあったといえる。そして世間は、ナベツネがめっちゃ嫌いだったということでもある。古田のやりきる力というのもすごかったが、私はどちらかというと嫌われても全く動じないあの鉄の心が欲しいぜ!
↓この本が説く究極体はナベツネなのかもしれない。この本の主張は私は嫌いだけど。「人の心には干渉できない」みたいな諦念的な考えは好きではない。
ホリエモンは不死鳥のごとく……
今から考えると、2リーグ制12球団を維持することになったのなら、「合併じゃなくて身売りでよかったじゃん」ということは、その後のソフトバンクやDeNAの参入の仕方を見ると明らかである。しかしながら企業事情なのかもはや後には引けなくなった感があったためかは定かではない合併&新規参入問題なので、ホリエモンの「ライブドア・フェニックス」は最後までパ・リーグ参入を目指して頑張ることができた。元ヤクルトの「オマリー」という知る人ぞ知る懐かしの名選手を監督に据える予定までこぎつけて参入合戦を戦ったが、残念ながら楽天はもっと巨大で強力な存在だった。世の雰囲気は「同じIT系で楽天も来るなら、楽天の方が良い」というミもフタもないものであった。企業規模が全然違った。騒がしかったのは断然ライブドアサイドであるが、非常にあっさりと新規参入は楽天に決まった。三木谷社長の後出しジャンケンで圧勝であった。
しかし、この騒動によって「ライブドア」というコンテンツは一大ムーブメントとなり、ホリエモンは連日テレビに引っ張りだこになり、ついには「美人広報」なる存在まで有名となった。ミもフタもないことをいえば美人だったからついでのように注目されたわけだが、私は個人的にはパワフルな存在感で割と好きだった。が、世の中からは嫌われるタイプの目立つ存在で、ホリエモンとセットで注目もバッシングも浴びていた。ホリエモンの逮捕と時を同じくしてライブドアを去ったが、その後はまた芸能事務所の広報として働いているらしい。
で。
まとめとして、何より忘れてはならないのが、ライブドアの存在−−ひいてはホリエモンの存在がなかったら、今頃1リーグ10球団制くらいになっていたかもしれないということである。突然彗星のごとく現れたライブドアという存在が「バッファローズ買います!」と言いださなければ、可能性に賭けた選手会によるストライキも起こせなかったかもしれないし、それこそ楽天の参入という事象自体が起こり得なかった可能性が高いのである。ありがとう、ホリエモン! がプロ野球ファンの当時の心境だったのではなかろうか(私はプロ野球に興味がない)。
しかし、その後のライブドアの凋落によって、このときの栄光は全て崩れ去ってしまったのは周知のとおりである。ホリエモンに逮捕については、個人的には正直かなり思うところがあるのだが、長くなるので省略する。いずれ「ニッポン放送」的な記念メダルが発売されるようなことがあれば、改めて語りたい。【フジテレビ】の記念メダルはあるんですがね〜
記念メダルについて
2000年代の中日ドラゴンズの優勝メダルは、個性が薄いというか、年度部分以外の図柄を見て「これは◯◯年の優勝メダルだな」と判別するのがなかなか難しい。
中日は優勝すると高確率で茶平工業製記念メダルを発売してくれる、記念メダラーにとっては良心的なプロ野球球団である。ただ残念ながらここ最近の優勝を全てかっさらっているのは広島で、広島もかつては茶平製メダルの存在が確認されているのだが、ここ最近は他社製の記念メダルが発売されている。マジ残念だわ〜。
いつか【特集ページ】で「記念メダルで振り返るプロ野球優勝の歴史」という企画をやろうと目論んでいるのだが、必然的に打ち止めとなる年が出てくることになる。それが2011年なのではないかと考えているのだが、どうなんですかね? ご存知の方がおりましたら、ぜひご一報を〜
コメントを残す