邪道【読売ジャイアンツリーグ優勝 1990年】 記念メダル

 1990年の読売ジャイアンツは、ジャイアンツ史上最強の投手陣を擁したチームとして語り継がれている。驚くべきは記念メダルに刻印された優勝した日の日付である。「9月8日」って、どんだけ早いのという話である。IKKOさんもびっくりである。この年のジャイアンツは2位広島に22ゲーム差を付けて優勝した。2位広島の貯金はわずか2であり、3位以下は全チーム借金を抱え込んだシーズンとなったのである。ビルゲイツが貧民街で無双な振る舞いをしているようなものである。資本主義経済でも、ここまでの独り勝ちはさすがに反感を買いまくって危なそうである。東京地検特捜部に目をつけられるパターンだね!

 しかしながら、日本シリーズはパ・リーグ覇者の西武に4連敗してあっさりと負けた。不調だった原因に「早く優勝しすぎてシリーズまで1ヶ月半あいてしまったから」などと言われているが、消化試合といえど試合が全くなかったわけではないので、微妙なところである。もちろん気持ち的な問題というのは思いのほか重要であり、モチベーションの維持は困難であろうが、準備期間がそれだけあったともいえることなので、どうとでもいえるところである。どちらにせよ西武にしてみればいろいろな笑いが止まらなかったであろう。

 語り継がれるこの年の巨人投手陣は、20勝が一人、2ケタ勝利が四人、9勝が一人となっていて、しかも先発投手はこの六人だけである。つまり、チームの先発ほぼ全員が2ケタ勝利を飾っていて、しかもそのうちの一人は20勝と優秀投手二人分の活躍をしているのだから、そりゃ優勝するだろうというここまでくると訳のわからない投手陣であった。加えて、中継ぎ・抑えを合わせても四人しかおらず、つまり1軍登録投手を都合10人のみで1シーズン戦い抜き、ぶっちぎりで優勝したという、マンガのようなシーズンであったのである。『ドカベン』でもこんなチームではない。

 しかしながら翌91年には広島に優勝をさらわれるどころかBクラスになり、以降野村ヤクルト黄金期に入り巨人にとっての暗黒期が始まる。私の記憶にある巨人も大体このあたりからで、とにかく金にものを言わせて人を集め出した印象が強い。落合がプロ野球史上初めて1億円を超える年俸を手に巨人に来たとき、母親が「100万で良いからくれないかなー。1億円のうち100万くらいなくなっても気づかないでしょ」とテレビに向かって言っていたを鮮明に覚えている。我が家は金に困っていたのかな。

 現在の巨人はこの年以降の暗黒期に勝るとも劣らない長い低迷の時代が続いている。腹を切るような思いでやっているのかもしれないと考えると、高橋由伸監督の心労は想像もつかない。働き盛りのアラフォーにして仕事が何年も不調だなんて考えただけで恐ろしい。

 明日は我が身だーーと、アラサー脱却からのアラフォーこんにちはが見えて来たおっさんの戦々恐々とした心情をここに残して、終了。




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