1999年の福岡ダイエーホークスは、ダイエーホークスとして初のリーグ優勝&日本一に輝いたシーズンである。この年は色々と波乱万丈であり、4月にはロッテ戦で2−22という高校野球の地区予選のようなスコアで敗北し、問題となった。また、同じく4月に球団社長が急逝するという事態に直面した。この4月の出来事に奮起したのか、以降はほとんど首位を明け渡すことなく、9月にはリーグ優勝を決めるという結果となり、その後の日本シリーズも4勝1敗で勝ち越しダイエーホークスとして初の日本一に輝いた。
つい先日日本一をを決めた現ソフトバンクホークスは「常勝軍団」と呼ばれて久しいが、その始まりはこの1999年であった。現監督でこの時はピッチャーだった工藤が私のような野球音痴にも知れ渡るようになったのはまさにこの年からで、「歳とってるのにすげーなー。見かけはおっさんなのに」というおじさんたちの希望の星であった。私の現在の歳になると、ますます当時の工藤が以下にすごかったかがわかる。工藤新一よりもすごいと思うね! 見かけはおじさん、頭脳と投球力は高校生以上、というスーパーおじさんだったのである。それに比べて私ときたら、女子の理解を一切得られない直径30ミリちょいのメダルを集めてブログを書くというモテる要素が一切ない行為を毎日のように繰り返している枯れたおじさんである。記念メダルなんて集めず私もピッチャーやってればモテたかなぁ。いや、ピッチャーになれないから記念メダルを集めてしまったのか!?(極端な発想)
記念メダルとしてはなかなか珍しいタイプで、刻印不可能な裏面である。裏面が刻印できないタイプの茶平メダルでも種類は複数あって、大きく分けると「両方おもて面タイプ」と「刻印部分にすでに刻印っぽいのがある」タイプに分けられる。こちらは後者となり、手持ちのメダルで他に良い例がないのだが、岡山県の【ヒルゼン高原センター】の「おもて面」と似た造りである。
↓なんともいえない【ヒルゼン高原センター】のキャラの両面。両面とも裏面みたいな造り。
茶平工業の記念メダルは「刻印できてこそ」と考える記念メダラーもいて賛否が分かれる一枚だが、私は「茶平製であればなんでもよい。キーホルダー一体型でもよい」という節操のないタイプなので、全然問題ない。むしろ、このようなメダルに出会うと「まだ見ぬいろいろなタイプがあるのかな〜」と、また一つ奥が深まった記念メダルに思いを馳せるのであった。
2度と抜け出せない深い沼ーーそれが茶平工業製記念メダルの世界である。
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