邪道【広島東洋カープリーグ優勝 1975年】 記念メダル

 1975年の広島東洋カープは、球団創設以来初のリーグ優勝に輝いた年である。

 この年は広島にとってリーグ優勝のみならずいろいろとあった年である。広島は「赤ヘル軍団」と見た目通りのなんのひねりもないニックネームで呼ばれているが、その「赤ヘル」になったのはこの年からである(それまでは紺色だった)。そしてその「赤ヘル」を導入したのが、日本球界初の「メジャーリーグ出身監督」として広島の指揮を執ったジョー・ルーツである(メジャー・リーグ出身といっても14試合に出場したのみであるが)。このジョー・ルーツは、近代的な野球を日本球界に導入した立役者らしく、先発ローテーションやらスポーツドリンクのベンチ常備やらを持ち込んだらしい。1975年にスポーツドリンクの重要性を説いていたのは恐らくかなりの少数派で、日本では80年代でもまだ「運動中に水を飲んだらバテる」という価値観が一般的であった。

 で。

 このジョー・ルーツという監督、4月の終わりには退任するのである。デーゲームの試合中、審判のボール判定に激怒し、審判に暴行→退場、となるも、言うこと聞かずに居座っていたら球団社長が来て説得され、しぶしぶその場を後にするーーのだが、その日はダブルヘッダーで、ナイトゲームもあったのだが、その試合前に選手たちに「もう広島の指揮は執らない」と宣言し、本当に帰ってしまったらしい。理由は、「グラウンドでの全権を任すという契約なのに、球団社長が来て話をするのは権利侵害だ」ということであったらしい。わかりやすいほどの契約社会・アメリカである。子供のダダのようにも聞こえるこの言い分であるが、本当に帰国してしまうところが日本人のダダとは違うところである。天晴れである。

 で、皮肉なことにそのおかげなのか、はたまたジョー・ルーツが指揮を執っていればもっとあっさり優勝できたのかはもはや知る由もないが、この年に球団初のリーグ優勝を成し遂げた。どちらかといえばジョー・ルーツ的にはきっと心中穏やかざるものがあったと思うのだが、優勝時にはお祝いに来日したらしい。なかなか大人な対応である。

 今年(2017年)のセ・リーグ覇者である広島は、クライマックスシリーズで1勝のアドバンテージも全試合ホームゲームという地の利も全く生かせず、あっさりとリーグ3位のDeNAに破れ敗退した。このようなことがあると「プレーオフ(クライマックスシリーズ)の意義」というものが問われることが多い。実際3位のDeNAとは10ゲーム差以上の開きがあるため、「あのリーグ戦は何だったのか感」が非常に強いのは否めない。

 プレーオフの導入はポストシーズンを盛り上げるためーーひいては集客益を高めるためであるわけで、そういう意味では運営側としてはもはや撤退しないだろうと思われる。この制度に強く反対するのはプロ野球を愛するからこそ意義を唱えるコアな野球ファンであり、コアな野球ファンはたとえ意義を唱えたとしてもクライマックスシリーズの応援に駆けつけるわけで、運営側としてはガーガーうるさいのに少し我慢すれば確実な収益が見込める美味しいイベントなのである。リーグ覇者が優勝すればその反対意見も出ないだろうし。

 このことから考えると、例えば「首位と10ゲーム差以上ある場合は、2位・3位でもクライマックスシリーズに出場できない」みたいな規定を作って、「消化試合」を消化試合にさせない&リーグ覇者と対決できるのは僅差だったチームのみとする方針が提案されたとしても、恐らく了承されないだろう。クライマックスシリーズはドル箱なのだから、わざわざ損しそうな案を受け入れるとは思えないからである(◯◯ゲーム差以内というのは良い案だと思うのだが)。

 「プロなのだから、負けた広島が悪い」と言ってしまえばそれまでだが、それは恐らくプロ野球にあまり興味がない者の意見であるだろう。プロの世界は(お金を落とす)「ファン」の存在までを含めてプロなのである。あまりファンを失望させるようなことの無いような運営であってほしいと願う。とにもかくにも、広島ファンにとっては、せっかくリーグ優勝したのに、非常にガッカリなシーズンであったことだろう。あの喜びは何だったの? といういたたまれない感じが広島ファンからは醸し出されている。それはあんまりだなぁと思うのである。

 という、全くプロ野球ファンではない者の意見。




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