この記念メダルは【2003年の阪神タイガースリーグ優勝】を記念して作られたものである。ちなみに2003年リーグ優勝の記念メダルも別途存在するので、また後日アップする。
星野仙一監督は中日や阪神、楽天で辣腕を振るい、リーグ優勝や日本一(楽天)に導いた名実ともに名監督と呼ぶに相応しい人物である。
が、私は嫌いである。
まず、すぐブチギレる人間、怒りを全く抑制しようとしない人間というのが私は嫌いであり、星野仙一はまるっきりそういった人間で、そして自分でもそれを隠そうとせず「長所であり短所でもある」と開き直って語ってしまっているあたり、私とは相容れない存在である。「短所でもある」とついでのように述べているが、自分の欠点を恥じていないというのは改善する気がハナからないということなので、そういうところもますます受け付けない。
今でも覚えているのが、中日監督時代、ストライクの判定に異議を唱える中日の打者を押しのけるように電光石火のごとく現れて、主審に思いっきり体当たり→その流れで主審はもみくちゃにされ肋骨を折るというシーンを幼い私は生中継で観ていた。幼心に「非暴力では暴力に立ち向かえない。ガンジーは核の前では一瞬で消される」と思った。話し合う余地などない暴力の圧力に身震いしたものである。
話が少しそれるようだが、数年前、フットサルの元日本代表が大学生と試合をしていて、相手の挑発に乗って相手を転倒させ、さらに腹いせに相手の首を蹴り上げたことにより、「競技中に逮捕」されるという前代未聞のことが起こった。
この事例からいけば、星野仙一も逮捕されていてもおかしくないというか、逮捕されていないことに疑問すらある。まあこの乱闘時は審判もヒートアップして散々暴言を吐いたのだが、「相手の挑発に乗ったのだとしても許されない」というのは上記のフットサル元日本代表の事件(逮捕されたからまさに「事件」である)から法治国家としては法的に許されないという流れであり、逮捕されないことはむしろ法の整合性が損なわれると思うのだが、逮捕されないどころか、星野仙一はこの件について謝罪すらしていないのである。
しかし、結果を出せば「男・星野仙一」「闘将」として気の短さすらもてはやされるのがプロの世界である。実はそこには全く文句はない。そりゃそうだろうな、とすら思う。是非はともかくとして、「結果を出せば良いというわけではない」というのはアマチュアの世界の話で、プロの世界は「結果を出さないことは悪」であり、そして結果を出せる人間というのは稀有な存在なのである。貴重な存在であれば、それが何だかうやむやとなってしまうのは流れとしては非常に理解できるところである。繰り返すようだが、それが良いか悪いかは別として。
さて、そんなわけで私は星野仙一監督時代の楽天が日本一に輝いたことは、すごいとは思うが、別に感動はない。なぜなら嫌いだからである。嫌いな人間は、何をしても嫌いなのである。すぐにキレる人、暴力を我慢できない人間はただただ嫌いである。
ただ、「じゃあ自分はそんな人間ではないのか?」といったら、決してそうではないというのが、人間のわがままなところであることよ。。。
私が短気な人間が嫌いなのは、私自身が短気だからである。ふとすればすぐキレがちである。暴力を振るうことはさすがにないが(私がフットサルで審判を殴ったら恐らく躊躇なく逮捕されるだろう)、「ここで一発ぶん殴ったらどんなにすっきりするか」というのは心の中で思うことである。
人間は、自分が気を付けて我慢していることを平気でする人間を目の当たりにすると嫌悪感を抱くーーつまり、自分の嫌いなところを備えた人間が嫌いなのである。「似た者同士がいがみ合う」というのはこういう理屈である。
そんなわけで、星野仙一から「才能」と「知性」を引いて嫌なところだけを残した人間が私なのである。なんて価値のない人間なんだ、私。
全然気にしてないけどね〜。
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