邪道【ヤクルトスワローズリーグ優勝 1992年】 記念メダル

 

↓新旧記念メダル比較(1978年リーグ優勝時の記念メダル)

 

この記念メダルは1992年、野村克也監督体制3年目のヤクルトスワローズが14年ぶりの日本一に輝いたことを記念して販売された物である。14年ぶりのリーグ優勝で、14年ぶりに金型を使いまわしているという非常に稀有な例でもある。物持ちが良い! 湯水のようにお金を使っているようなイメージのあるプロ野球球団であるが、金型代十数万円はちょっとケチりたかったのかな!?

 まず、おもて面は全く同じ、寸分狂いもなく同じであることから、同一の金型を使用していると思われる。うら面もほぼ同じデザインではあるが、当然「年度」が異なるのと、78年のメダルにはある「日本プロ野球」の文字が92年のものからは消されている。そのため、幾分すっきりとした印象である。うら面に関しては、金型変えるならデザインも一新すれば良かったのという正直な気持ちが拭いきれないが、こうしてネタとできているので個人的にはまあよいかという感じである(そして世間的にも記念メダルのことなど恐らくどうでも良いことだろう)。

 記念メダルのデザインが95パーセント以上同じであったため、長い間、78年と92年とでそれぞれに記念メダルが存在することに全く気がつかなかった。ちなみに翌年の93年にはリーグ優勝&15年ぶりの日本一に輝いているので、こちらももしかしたら記念メダルが同一デザインで発売されていたかもしれない。どなたか詳細求む!

 1992年のヤクルトはかなり覚えている。まだ幼かったが、野村監督がブイブイ言わせて大ブレークしていたときであり、「人気はないが強いヤクルト」という印象から、私のプロ野球の記憶は始まっている。もともと野球には全く興味がないせいか、これ以前のプロ野球の記憶はほとんどない。

 野村監督とセットで人気だったのが古田である。当時、メガネをかけたままスポーツをし、かつ、上手いという選手は古田以外記憶にない。コンタクトレンズの普及がまだ十分なされていなかった時代であることがよくわかる。この古田が、メガネを掛けたままヘッドスライディングをしている映像が幾度となくテレビで流れた。メガネがヘッドスライディング→メガネがズレる、という定番の流れを作り出したのは間違い無く古田である。後年、選手兼監督となり「代打、俺」で再び評判となった古田は、この時代、「メガネ=貧弱」という世間的イメージを一掃させた立役者だったのである。もちろん今もって払拭しきれてはいないが。

 この年のプロ野球は、パ・リーグは西武ライオンズが早々にリーグ優勝を決めたのに対し、セ・リーグは最後まで四球団が優勝を争う大混戦となった。そのため、下馬評では3年連続リーグ優勝の西武が圧倒的高評価であったが、実際の日本シリーズは、第7戦までフルにもつれ、しかもそのうち4戦が延長戦になるという大接戦であった。結果的には西武が日本一に輝いたが、「プロ野球史上最高傑作」とまで謳われる戦いとなった。

 私の記憶でも、この頃のパ・リーグは「また西武か」と思うくらい、毎年西武が優勝していた。子供心に「西武ばっかり優勝して、パ・リーグはつまらない」という印象があった。それくらい、当時の西武は強かった。今は野球界からは完全消滅してしまった清原がブイブイ言わせていた時代の西武である。

 野村監督名物の「ボヤキ」もこの頃からクローズアップされるようになり、「狐と狸の化かし合い」という名言はこの日本シリーズで生まれたーーらしいが、そんな名言知らない私(野球に興味がない人間)。これは野村監督と西武の森監督の知略を巡らせた攻防を言い表したものらしい。監督の戦略がクローズアップされる戦いといのも、実は意外と珍しいのではなかろうか。素人レベルではそういうところに普段目がいかないし。

 また、78年優勝時にもあった「神宮球場使用に関する六大学野球との調整」という問題が浮上した。要するに、この時期は六大学野球側の使用予約がすでに入っており、本拠地戦として使えないという問題である。78年のときは後楽園球場で代替試合としたのだが、92年は六大学野球側が折れて、六大学野球をナイターで行うということになった。そのため、日本シリーズ表彰式後すぐに大学生たちがウォーミングアップを始めるという珍妙な光景が見られたらしい。

 そもそもこの問題は、当時「ヤクルトがリーグ優勝をする」という想定がまったくなかったことによる問題であると考えられる。神宮球場側は「まあ万が一ヤクルトが優勝したら、その時考えましょ〜」という完全なる泥縄式考えであったと思われ、これもまた時代だなぁと感じるのである。全てのことが今よりもユルユルであった90年代。

 つい最近、ノムさんをテレビで見たが、やはり年齢が年齢だけに、完全にお年寄りとなっていた。最近の若い子は、もう野村監督とか古田とかわからないのかなぁ〜なんて思うと、自分もまた歳を取ったものだと、一抹の寂しさを感じるのであった。この頃は、全てのことが可能性に満ち溢れていたのになぁ……今や、自分の夢を追って転職することすら厳しい現実。あああ。




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