邪道【読売ジャイアンツリーグ優勝 2002年】 記念メダル

 2002年の読売ジャイアンツは、愛人問題解決のために1億円を支払っていたのに結局リークされて恥ずかしい思いをした原辰徳監督体制1年目のシーズンであり、初監督にしてリーグ優勝&日本一に輝くという快挙を成し遂げた年である。この頃にはあんな目に遭うとは夢にも思っていなかっただろう。ただ、大した問題にしなかったのも、やはりすごいと思う。もっとも不貞自体は人の家の個人的な事情なのでそれこそ大した問題ではないのだが、反社会的勢力に1億円払ったのにそのまま監督を続投できたことが、その後の野球賭博問題との対応の差を感じる(巨人サイドは「反社会勢力とは認識していなかった」と語るが、1億円をゆすってくる行為そのものがすでに反社会的行為だと思うのだが)。原監督って愛されていたのね。

 で。

 この年のジャイアンツは、序盤こそ阪神に首位を譲っていたが、6月以降は首位を独走しリーグ優勝。日本シリーズも4連勝であっさり日本一を決めた。松井秀喜はこれらの成績に加え、ホームラン王と打点王という個人記録の箔もつけてメジャー挑戦を表明し、ヤンキースへ移籍した。

 初監督にして初優勝というのはこれ以上ないほどの結果といえる。監督就任当初、原監督は40代の若さだったこともあり、その若さも注目され、中年男性からの希望の星としても見られていた。がーー翌シーズンは3位に沈み(3位でも「沈み」という表現のジャイアンツという球団)、「読売グループ内の人事異動」というよくわからないナベツネさんの名目で監督を退くこととなった。ただ後任の堀内恒夫が全くパッとしなかったので、2年後に監督に復帰することとなる。

 2002年の原監督体制で個人的に一番印象に残っているのは、「代打・桑田」である。横浜戦で、延長11回無死1塁のチャンスで、打順がピッチャーの岡島だったとき、ベンチに清原が残っていたのに、「代打・桑田」を告げた。たぶん左ピッチャーだったから右打ちの桑田に代えたのだと思うが、その後横浜は右投げのピッチャーに代えた(ちなみに清原も右打ちなのだが……)。その打席、桑田はバントの構えからヒッティングに切り替えるバスターエンドランを見事に決めて横浜のピッチャーのみならず森監督をはじめチーム全体の面子を潰した。その後、仁志がタイムリーを放ち、巨人はこの試合に勝った。激戦の勝利をあまり喜んでいなさそうな清原の顔が印象的であった。

 監督1年目からこういうことをするのはすごいな〜と素直に思う。桑田がヒットを打たなかったら何を言われたのかわからない奇策を(特に清原に何を言われたかわからない)、結果で黙らせたわけである。もちろんなんだかんだで一番すごいのは桑田だと思うが、「責任は全て俺が取る!」という姿勢を如実に表した(桑田はアウトになっても別に失うものないし)、中年が憧れざるを得ない一場面であった。「若大将」というこれ以上ないほど親父臭い愛称がよく似合うカリスマ性があった。

 ぜひ高橋由伸監督にも、若い監督としてがんばっていただきたいものである。というプロ野球に全く興味がない人間の応援。




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