中国4000年の歴史はその謎も深く
【中華人民共和国展覧会】というイベントに関して私は全くの無知である。そこでネットで調べて見ると、少しやっかいなことが判明した。
【中華人民共和国展覧会】は、74年バージョンと77年バージョンがあるということである。そして、記念メダルも74年バージョンと77年バージョンのそれぞれがあるのである。しかも77年バージョンは日本各地を移動しながら開催されたようで、開催場所によって記念メダルが異なるという仕様のようなのである。が、それは77年バージョンの記事で掘り下げることにする。
74年バージョンの【中華人民共和国展覧会】は、大阪万博跡地である「万博記念公園」で開催されたらしい。とはいっても大阪万博が70年開催なので、まだ現在のようなエキシポシティなどはもちろんなく、万博記念公園としても全然整備されていない時代の話である。
大阪万博には、実は中国は参加していない(中華民国として台湾は参加していたが)。というのも、日中国交正常化は72年のことなので、政治的な理由で参加できなかったのだろう。そして2年後の74年に、記念メダルにも描かれている通り、中日友好の記念として開催されたのが【中華人民共和国展覧会】であると思われる。わざわざ「万博記念公園」を開催地としたのは、この辺の事情を勘案してのことだと汲み取れる。それにしても「日中友好」ではなく「中日友好」という語順である点が、なんだか気を遣っている様子が伺える。
調べていくとどうも77年バージョンの方がイベントとしてはビッグであったようで、こちらの74年バージョンの情報はほとんどないに等しい。よってどのようなイベントであったのかもはや知る由もないのだが、「中日」の語順であったり、開催場所であったりが、当時の日本と中国の世情を反映していて面白いといえば面白い。まあ中国にはあんまり興味がないんだけど(台無しな発言)。
記念メダルは静かに歴史を語るものなのである。
記念メダルについて
万里の長城の図柄は何回か記念メダルとなっており、例えば【ポートピア’81】で目にする。比べると細かいところで違いがあってなかなか面白い(塔が一つだったり、文字が彫られてなかったり)。中国といえば万里の長城と天安門とパンダというイメージがあるのか、なにかと記念メダルにされがちである。
70〜80年代メダルの人物画ってあんまり本気で描いている感じがしなくて、今よくみるとなかなか味がある。たとえるなら古い小中学生の版画作品で見られるような感じで、手抜きというよりこれが当時のスタンダードだったのかもしれない。「中日友好」メダルの左のおかっぱ少女なんて、一昔前の巨大ロボみたいな顔しているし。この3人は恐らく中国人をイメージして描いていると思うのだが、今だったら下手すぎて外交問題にもなりかねない描写かもしれない。こういう点、最近超厳しいし、マジで。
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