静岡県【アクトタワー】 記念メダル

オークラ アクトシティホテル 記念メダル アクトタワー
オークラ アクトシティホテル 記念メダル 出世大名家康くん
オークラ アクトシティホテル 記念メダル 直虎ちゃん

@45階展望室
備考①:結婚式等で貸し切りになると半分のエリアしか入れなくなる。が、販売機は両エリアに設置されていたので大丈V!(古っ)
備考②:※販売終了し、販売機が無惨な形で放置されていることが話題となった。
備考③:販売終了していたが、紆余曲折を経て2023年8月末に復活した。記念メダラーを振り回すいけずなお人。

見晴らしは半分でもお値段据え置き

JR浜松駅から降り立つと、でーんと構える【アクトタワー】様のお膝元だ!

 別記事であるが全国を巡回している【志村けんの大爆笑展】で、静岡会場になった途端「ちびまる子ちゃんコラボ」の記念メダルが発売されるという事件が発生した。まるちゃんは静岡県在住の方なので、”静岡からコラボ”となった理屈はよく理解できる。また、【フジテレビ】の公式通販でもコラボメダルは販売されたこともあり記念メダラー達は安堵し、特に大きな混乱はなかった。ただ余談となるが、その会場がJR浜松駅前であったために(@遠鉄百貨店)、【アクトタワー】に立ち寄る記念メダラーの方々が複数人あらわれたのだった。

 このとき、【アクトタワー】の記念メダルは既に販売終了していた。

 眼下に広がる浜松の街並みは、記念メダラーにとってひどく素っ気なく冷たいものに映ったことだろう。

 しかしそんな情報を得てなお、敢えて登ったのが私である。詳しくは「記念メダルについて」の項にて触れるが、要は「メダルの死に様を拝みに行った」というのがその理由である。

 10年ぶりに登る【アクトタワー】は、かつて訪れた10年前よりも、よりその古さを感じるデザインだった。

 【アクトタワー】は何も変わっていない。変わったのは、流れゆく時代の中で生きる我々人間の感性の方である。

何とはうまく言えないのだけれど、見た目が「あっ、古いビルだな」とわかる雰囲気を纏う。色使いもさることながら、曲線っぽいところとかですかね?

 高層ホテルの最上階に展望回廊を作っちゃうところが、もう時代だよね。【JRセントラルタワーズ】とか。

 ホテルのビルの裾野部分は横に広がるように「アクトシティ」という名前の一帯を構成していて、どこから入るのか若干迷う。しかもホテルに泊まるわけでもなければオフィス部分に仕事に来たわけでもないので、言葉にならない後ろめたさを抱えながらうろうろと彷徨ってしまった。10年前にも訪れたはずなのに、その時の記憶など1ミリも残っていない。人間の記憶とはかくも儚きものであるからこそ、記念メダルに思い出を刻むことが重要なのだぁー。だぁー。だぁー(日付を刻んだのに何も覚えていない人間の発言)。

こんなデカデカと書かれているものが見つからないなんてどんだけキョドってたねん。
「営業時間 11:00am〜6:00pm」って、夜景見せる気ないんか〜い∑(゚Д゚) ってところが、いろいろと感じるものがあるよね!
うーん、バブリ〜
地方都市を上空から見るとどこも一緒ですよね。とりあえず駅前に巨大ロータリー作っとくか、みたいな。

 この日は展望回廊での結婚式が予約されていたようで、片側エレベーターが結婚式専用エレベーターとして使用されており、展望回廊へのエレベーターを待っている間、着物の人からスーツの人まで老若男女実に様々な人が乗り降りしていて面白かった。そしてその誰もが一人でエレベーターを待つ中年のおっさんに訝しげな視線を一瞬向けてから笑顔で会釈して立ち去っていった。自分も逆の立場だったら、確かに「この人、格好からして結婚式出席者じゃないだろうけれど、今から一人で展望回廊行く……の?」と扱いに困り、最適解として「とりあえず笑顔でおじぎ」という無難な行動を取ったことだろう。

 そしてこういう状況にすっかり慣れてしまった自分に「記念メダルを巡る旅というのは一人であることに慣れさせるものなのだな」とつくづく感じる次第である。「誰かと行く方が経費が倍掛かるじゃん」とすら思ってしまう境地に達したら、あなたはもう引き返せないところまで来てしまっている——

到着!

家康をどうするのか

松潤がアリなら、同年代の私だってアリだということだぞ! と言って引かれるところまでが私の鉄板ネタです。

 NHK大河ドラマ『どうする家康』の放映開始時期に訪れたので、【ゆるキャラグランプリ】2015年大賞受賞者”出世大名家康くん”を要する浜松市としてはやはり松潤推しであった。下記「過去記事」でも言及しているが、家康ゆかり問題として「愛知県:岡崎市」vs「静岡県:浜松市」という構図がある(私が勝手に対立させている説)。

 私が現在愛知県民だから、と言われるかもしれない。が、そこは元神奈川県民の立場から言わせてもらえば、家康のイメージはやはり岡崎にあると思うのである。大学受験の日本史勉強においても、家康に関して岡崎(というか三河)は出てきても、浜松(遠江)は出てこなかったと思うのである。まあその程度の受験勉強しかしなかっただけと言われればそれまでだけどさ!

 そんなわけで、岡崎に行っても『どうする家康』、浜松に来ても『どうする家康』という状況にちょっとどうしよう……と違和感を感じつつ、とりあえず浜松の街を上空から望む。

もちろん生憎の雨模様デッス!
筋斗雲に乗る家康くん
浜松は日本一よいところだと吹聴する家康くん

 記念メダラーとして数々の展望タワーに登ってきた私の感想としては、見晴らしはかなり良い方だと感じた。展望タワーは ①都市にあるか ②周囲の建物と比べてどれだけ高いか で価値が決まると個人的には思っていて、大自然の見晴らしより人工物を見下ろす方が楽しいし、展望室がどれだけ高くても周囲の建造物もそれなりに高いと面白味が減ると思うのである。その点、【アクトタワー】と浜松の街並みの関係は実にちょうど良い( ´∀`) と言える。が、夜景の時間帯は営業してないという致命的欠点があるので、結果、残念感があるのであった——

木と家紋のガチャガチャ超カッコいい! と思ったら——
1回500円のガチャガチャにおいて100円硬貨のみ使用可能、かつ、有料エリアにおいて両替の術がないという鬼畜仕様だった。

 全体的に言えるのは、イマイチやる気を感じない、に尽きる。ただ、本当にやる気はないのかもしれない。やる気がないから、結婚式の予定があるときはエリアの半分以下しか展望エリアが一般開放されないにも関わらず、入場料は据え置きという措置なのかもしれない——つまり、別に一般入場の需要はもう求めてないのかもしれない。その辺は、朽ち果てたメダル販売機やピアノが簡易な目隠しのみの対応で放置されている現状(後述)からもそこはかとなく見て取れる……ような気がする。

 ホテルの施設の一部であるので、基本的には清潔感が行き届き、やろうと思えばいくらでも、近年流行りの展望タワーリニューアルのように”居心地良い系”に改装できそうなので、アクトシティホテルにやる気が出ればいくらでも良くなる潜在的パワーは秘めているように感じる。が、一方で、本気出した結果うまくいかなかったからこその現状のやる気のなさなのかもしれない、という予想もあり、まこと展望タワー経営とは難しいものであるなと思ったり思わなかったり、思ったり。

ドラムのふざけ具合

記念メダルについて

入り口付近の販売機にはアクトタワーメダルが、出口前の上記写真の販売機では家康くんメダルが販売されていた。

 この【アクトタワー】における記念メダル販売終了の報は、茶平公式よりアナウンスされるずいぶん前からTwitter上では知られていた(公式アナンウスがあったのは2023年3月28日。ちなみに私が訪れたのは25日)。祇園精舎の鐘の声並みに諸行無常の響きを感じながらも、一方で「まあそんなもんだよね……」と記念メダル界では常に起こり得るメダルとの永遠の別れにいつしか慣れきってしまっていた記念メダラー達ではあった。が、一つのツイートがその死に様を克明に写していたので、マニア間でほんのりと話題となった。

↑中を開ければまだありそうなところがコレクターにとっての生殺し

 そして折しも【志村けんの大爆笑展】浜松会場から徒歩すぐの場所に【アクトタワー】はそびえ立っていたこともあり、記念メダルの歴史を記す者の一人としては、その消えゆく最期の姿を記録するために足を運んだのだった。

木の仕切りによって見せたくない物を隠していた。が、隠し方は雑だった。
まるでゴミ溜めのようになったその場所に、記念メダル販売機はまだその勇姿を輝かせていた(ちなみに布ははじめからめくられてましたYO!)。まるで頭上のコンセントに差し込めばかつての輝く姿を取り戻さんばかりに……
販売機を設置するために設けられたことを窺わせる壁の凹みが、建設当初の記念メダルに対する期待感を大きさを表しているかのよう……
しかし、最後まで売り切ろうとしていたことを窺わせる売り切れランプに貼り付けられた目隠し3つ。こいつ、最後までがんばってたんやな……(/ _ ; )
実は結構鬼畜条件の昔の販売機

 本当はもう1台設置されていたのだが、前述のとおりこの日は結婚式で半分以上のエリアが貸し切られていたため、本来の回廊入り口側に察知されていた販売機にお目にかかることはできなかった。白い死装束をまとった販売機の姿もぜひ見てみたかったね。

「あばよ……」と背を向けるパンダ。
壮士一たび去りて、復た還らず(立派な人間は、一度立ち去ったら二度と戻ってはこない)(『刺客列伝』より)
紆余曲折を経て復活した。

(過去記事)家康と聞いて浜松を思い浮かべるか問題

 浜松駅に直通している【アクトシティ】には、地方都市の駅ビルに造りがちな「展望タワー」がご多聞に漏れず建てられている。なぜ地方都市は駅に展望タワーを造るのか? なぜ人間は上空を目指すのか? 「バベルの塔」の過ちを未だに繰り返し続けている。

 そんなどうでもよい話は置いておいて、【アクトシティ】の記念メダルである。この場所は元々「アクトタワー」の展望フロアに記念メダルが設置されていたが、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』にあやかって、「直虎ちゃん」なるゆるキャラを作り出し、ここぞとばかりに記念メダルを製作した。記念メダルの製作はむしろ歓迎するところであるが、問題は「出世大名家康くん」の方である。

 「出世大名家康くん」は、浜松市のゆるキャラである。かつ、なんとあの「ゆるキャラグランプリ」で栄えあるグランプリに輝いた、エリートゆるキャラなのである。家康繋がりでいえば、一時期ちょっとしたブームとなった家康生誕の地岡崎市のゆるキャラ「オカザえもん」ですら全国22位だったことを考えれば、快挙であるといえる。

 が。

 きっと誰もが思っているだろうことを敢えて声を大にして言わせてもらえば、言いたいことは2つある。

 まず一つ目は、知らねーという単純な話である。「ゆるキャラグランプリ」というグランプリの名称は有名なのに、R-1グランプリ優勝者「三浦マイルド」の存在をすでに誰もが忘れているように、「出生大名家康くん」とかまじで知らねーという「R-1グランプリで優勝してもそんなに売れない」という法則に似たものがここに存在する。

 2つ目は浜松に家康のイメージはないということである。全くと言っていいほど、ない。いや、無論この意見に浜松市民は――特に浜松市役所の広報担当者は、いろいろな歴史的証左から反論することだろう。そしてそれはきっと事実であるのだろう。

 しかし――で、ある。

 そんなの関係ねーというのが、一般的な感覚なのではなかろうか。だって、家康ときいて一番最初に頭に浮かぶのは「江戸幕府」か「関ケ原」だもの。次点で「三河(岡崎)」といったところで、家康くんが岡崎のゆるキャラであるのならまだわかるのだが、「えっ、家康って浜松で何したの?」という素朴な疑問が浮かび上がる。もちろんこれに浜松市役所の広報担当者はいろいろと細かく説明してくれることだろうが、そういうことではないのである。人から教えてもらわなければわからないようでは、イメージキャラクターとしての用を成していないのである。だから、「家康くん&三成さん」(テキトーに命名)は関ヶ原(岐阜県)にでもゆずって【関ケ原ウォーランド】あたりで記念メダルを販売してもらい、浜松市は初めから「直虎ちゃん」でいけばよかったのである。大河ドラマが始まるまで浜松市ですらその存在に気づいていないようではダメなのである。「おんな城主」なんていう歴史上稀有な存在を抱えながら、知名度のみに目がいき、歴史的に浜松にかすった程度の家康に熱をあげているからいけないのである。本当に大切なものを見誤った例であると言えよう。直虎も「何をいまさら」と嘆いているに違いない。おかっぱ頭の柴咲コウが。

 人間というのは、本当に大切な人のことを大事にしなければ、誰からも大事にされなくなるのである。浜松市がそうならないことを祈っている。というそれっぽい言葉で筆を置く。




2 件のコメント

  • 静岡県 アクトタワー 45F 展望室
    2023年8月16日水曜日現在
    この日
    メダルを求めて
    アクトタワーの展望室に
    行った時
    丁度メダル補充している所でした
    自販機は、入口付近にあり
    買えましたが
    直虎ちゃんメダルが販売されておらず
    2種類しかありませんでした
    ただ補充の人が去った後にその
    自販機を見たら白い布が被せられていました
    普段から購入できるのか
    タイミングが良かったのか
    わかりません
    多分タイミングが良かったのかな?
    補充してたので
    まだ販売中ですね
    布が被せられている時は、
    入口にいる人に言えば
    購入可能と思われます

    • コメントに気付くのが遅れ、お返事が大変遅くなってしまいました。申し訳ありません💦

      【アクトタワー】の記念メダルは、お盆期間限定で復活することがTwitter公式アカウントによってアナウンスされてましたね!
      また、その後、好評だったことにより正式復活となったことがアナウンスされていました。

      ただ個人的には、マッチポンプというか、最初からそうすることが既定路線であったような気がしております。
      それか、「好評だから復活した」というより、「売れ残ったから販売を継続した」といった要素が強いのではないかと。
      どちらにしろ、メダル販売復活に向けて発注した量と販売実績に齟齬があって在庫ができたので、販売しているだけだと思います。
      なぜなら、この頃の茶平工業は、各地各施設からの発注量に対し生産が追いつかず、全国各地で品切れが相次いでいた時期であったため「売り上げ好調だったからすぐに再発注して再入荷した」ということは考えられないからです。

      ただ、何にせよ理由はどうあれ、復活は喜ばしいことですね!

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