横浜は地方博に向かないのか?
【横浜博覧会】は、89年に横浜開港130年を記念して開催された地方博である。当時はバブル景気真っ只中、すなわち地方博ブーム真っ只中であったが、2009年の【開国博Y150】と同様、集客に苦戦したようである。やはり横浜は地方博には向かないのである。横浜港開港は日本の屈辱の歴史なのに祝っているようじゃだめなのである。我々現代人からしたら開港してくれて良かったけれども。
上記の写真をご覧いただければわかると思うが、キーホルダー一体型メダルがある。しかし、茶平製の他の一体型メダルはサルカンが一体となったタイプで上部がぼこっとしており、平たく言えば「メダルホルダーに入らなくて困る」という形状である。一方こちらの一体型メダルはといえば、記念メダル上部に穴が空けられ、そこにキーホルダーのサルカンを通している。実は同じ出品者から他にも同様の形態をしたキーホルダー一体型メダルを購入しているので、「もしかして自作?」という可能性も考えているのだが、どなたか詳しい方はいらっしゃらないだろうか? 詳しい情報求む。
風船おじさんFOEVER
さて、【横浜博覧会】といえば、なんといっても「風船おじさん」である。若い方にはさっぱりな話題であろうが、かつていたのである。風船に乗ってアメリカまで行こうとしたおじさんが。
どういう繋がりがあるかというと、「風船おじさん」は【横浜博覧会】でテナントを出店していたのである。そして、記念メダルにも描かれているゆるキャラ「ブルアちゃん」の着ぐるみを自作し、それを着て会場の支柱に登り、「なんで客こねーんだよ!」と実行委員会に不満を訴えたのである。当然警察沙汰である。ちなみにブルアちゃんはあの手塚治虫がデザインしたキャラクターなので、現在だったら着ぐるみを自作してそんなことをしたら虫プロに訴えられるところである。かつてはいろいろとゆるかったなぁ(遠い目)。
そんな騒動を起こした後、なんと実行委員会と話し合って、集客のために「風船ゴンドラ」を自作し、正式な許可のもとで訪れた客を乗せていたらしい。どう考えてもいろいろとゆるすぎるだろ80年代。「自作の風船ゴンドラに客を乗せる」という営業に許可を出すのもさることながら、そもそも大騒動を起こしたおじさんが騒動後も出店を続けているという事態が意味がわからない。そんな花の80年代。すべてはバブルのせいだね!
ということで、【横浜博覧会】は、「風船おじさん」が風船おじさんたる由縁であるところの、まさにデビュー戦だったのである。その後、風船おじさんは風船に乗って民家の屋根に激突したり(この映像は鮮明に覚えている。ちなみに屋根の弁償はしなかったらしい)、琵琶湖から飛び立って太平洋横断を夢見て、そのまま星となったりした。ちなみに宮城県沖の太平洋上で海上保安庁が空飛ぶ風船おじさんを確認し3時間ほど追跡したらしいが、飛行を辞める意思がないとし、追跡をやめたという経緯がある。これもまた時代だなぁと感じるところである。もう好きにして、という空気感が当時の世の中のゆるさを物語っている。幼い記憶の中に、報道各局ももはや冗談のようにこの事態を扱う映像が残っている。誰も風船おじさんがアメリカにたどり着けるとは一切信じていなかったが、なんだかんだとグダグダで行かせてしまった感じである。本人が望むなら、まあいいんじゃない、と。密着取材とかしてたし。
そんな【横浜博覧会】の名残は、みなとみらいにある「コスモワールド」の大観覧車である。博覧会って、何かと観覧車を作りがちだよね〜。で、その後、シンボルとして残すよね。
でもね。観覧車って、どこのに乗るかより、誰と乗るかだよね(知ったような口調)。
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