【販売場所】
@入場してすぐ左手の通路途中(2011.2現在)
備考:コンサートだとアリーナ席でしか購入できないともっぱらの噂だが、色々な武道大会で実は余裕で入れる(昔は写真のあたりに設置されていたのだ!)。※販売終了
武道館なので武道が狙い目です
日本武道館は「難易度の高い記念メダル」として記念メダラーの間では知られていた。このことは某記念メダルサイトの方がそのように書いているからだと予想される。難易度の高さとしてよく言われるのが、「コンサートだと、アリーナ席の人しか購入できない場所に自販機がある」という点である。
日本武道館といえば、今ではミュージシャンの方々が「いつかは武道館で!」と甲子園を目指す球児たちのように目標とする場所であるが、元来はその名の通り武道の大会が催される場所である。調べてみると、武道の大会は割と頻繁に開催されており、武道の大会開催時であれば、売店があるくらいの規模の地域の大きな体育館と何ら変わらない。私はよくフットサルで体育館を利用するので、日本武道館はむしろ古くてちょっと「チッ」となるような雰囲気の、本当に古い体育館である(が、2度目に訪れた2024年現在ではびっくりするほど綺麗にリニューアルされていた)。椅子がまず昔ながらのクッションが一切ない硬いプラスチック製の椅子であった。アマチュアの武道の大会が開催されているときならば、普通に入場できることが多い。
私が訪れたときは、「全日本短剣道大会」という、短剣(小太刀?)」のみを使用するマニアックな剣道大会が催されていた。
身に着けている防具は剣道の物と同一に見えたのだが、手にしているのが文字通り短剣なのである。だから、遠目からみると剣道の防具を来た人同士が肉弾戦で殴り合っているようにも見えた。調べてみると、実際にある程度の肉弾戦が許されているっぽい感じである。
元々は自衛隊体育学校で開催された大会のためか、武道館周辺に停められていた車両も自衛隊車両が多く、恐らく参加者も自衛隊員が多いと思われる。日本武道館周辺には軍用車両がひしめき物々しい光景であった。近くに「靖国神社」がある点も、なんだかいろいろ考えてしまいより物々しい。
せっかくなので短剣道大会をしばらく見学したが、元々剣道にもあまり興味がなく、短剣ゆえに技が決まっているのかどうかも遠くからでは非常に見えにくため、15分くらい観戦して飽きてしまいその場を後にした。ただ、こんな世界もあるんだなぁと、記念メダルの旅によってまた一つの物事を学んだ満足感は確かに存在した。記念メダルが私と短剣道を結び付けたのである。今ではもうその結びつきはすっかり綻んでいるけれども。
ランナーたちを皇宮警察が守ってくれます(たぶん)
余談だが、「日本武道館」を真ん中として、「靖国神社」と「皇居」の三つかなり近い場所(歩いて行ける距離)にあるので、一緒に観光するのがおススメである。さらに皇居の周辺には「警視庁」やら「東京消防庁」やら少し離れたところには「国会議事堂」やら日本の中枢施設がひしめき合っているので、田舎者としてはそれらの建物を見るだけでテンションが上がってしまった。
そして、皇居といえば「皇居ラン」である。私はマラソン大会参加が一つのライフワークなので、皇居は一度は走ってみたかった場所なのである。
私は日本武道館そばのコインパーキングに駐車して、「武道館」→「靖国神社 遊就館」→「皇居一周ランニング」と、日本の中枢をかなり満喫した。皇居は言わずと知れたランニングのメッカであるわけだが、なぜここにランナーが集まるのかが、実際に走って見てよくわかった。「一周約5キロでちょうどいい」「信号がない」という点ももちろんあるが、その程度の条件ならば他にも余裕である(特に運動公園系)。一番大きいのは「皇宮警察」の存在であろう。皇居周壁の至る所にに設けられた物見やぐらのような高台から、皇宮警察が常に周囲を警戒しているのである。つまり、夜でも抜群に治安が良いのである(あるいはそう思われている)。夜RUNでは、特に女性にとって「治安」は最も重要なポイントである。この点で、社会人ともなると時間の制約的に男よりも女性の方が練習するのが難しい条件となる。その点、皇居ランは女性が夜でも安心して取り組める練習だと思われる(あるいは思われている)。
皇居はぜひもう一度走ってみたい場所である。皇居記念メダルが発売されないものかな。ちなみにメルカリ等では「天皇在位〇〇年記念」といった記念メダルはよく売られているが、あれも実は茶平工業製記念メダルである。当時は皇室系メダルが盛んに作られていたのである。
自分にとっての◯◯
かつて一世を風靡した『けいおん!』というマンガ・アニメがある。
内容を簡単に言えば、目の大きい女子高生たちが軽音楽部でガールズバンドを組んで武道館でのライブを目指すという萌え萌えなマンガ・アニメである。その中で最終回での有名な台詞に「ここが私たちにとっての武道館です」というものがある。学校の文化祭でのライブで主人公の女の子が言う台詞で、実は私はこの『けいおん!』を全く観たことも読んだこともないのだが、知っている。それくらい有名なセリフである(世界規模で考えれば知らない人の方が圧倒的に多いだろうが)。
観たことも読んだこともないので、詳しい内容も知らないし、このセリフの背景にある主人公の深い思いというものもわからない。有名アニメといえど、日本に住む大半の大人は、このセリフを知らないだろう。そんな人間がこのセリフを聞いたときどういうことを感じるのか――ということを目の当たりにしたことがある。
私の前職の同僚に、半分職業としてサッカーのコーチをしている人がいたのだが、コーチをしているクラブの子が「サッカーをやめて、バンドをやりたい。音楽の才能があるって知り合いに言われた」と言って来たときのことである。その同僚としては、その子にサッカーのセンスをそれなりに感じていただけに、どこぞの誰かもわからない人間に余計なことを言われて「サッカーを辞める」という選択肢を与えたことに憤りを覚えたのだろう。「どんな人なんだ?」という質問に「プロではないけれど、ライブ活動をしている。その人に武道館を目指せると言われた」と答えたそうで、「その人は武道館でライブをしたことがあるのか?」と訊くと、「武道館でライブをしたことはない。でも、自分がライブをする場所が、自分にとっての武道館だと言っていた」と目をキラキラさせながら言っていた。それを聞いた元同僚は「それは武道館でライブをやった人に失礼だわ!」とキレていた。それを聞いた私は「確かに!」と目から鱗であった。
その元同僚はバリバリの体育会系で、『けいおん!』というマンガ・アニメのことなど知る由もない。だから、その子が言ったセリフが恐らく『けいおん!』から来ているものであること、あるいはその知り合いとやらが本当にいてその知り合いが『けいおん!』の影響を絶大に受けているのかはわからないがとにかく『けいおん!』の主人公が最終回で感動の涙を誘うセリフとして発したものであることは知る由もなく、このセリフを聞いて率直に、素直に失礼だと思ったのだろう。
私はこの出来事に接するまでは、「ここが私にとっての武道館」というセリフにさしたる疑問を抱いたことはなかった。確かに感動を呼びそうなセリフだな、という程度しか思っていなかった。
だがよく考えてみれば、非常に冷たいことをいえば、「自分の目標を達成できなかったに対して調子のよいことを言っているだけ」とも受け取れる。というか、もはやそうとしか思えなくなってしまった次第である。「〇〇という夢はかなわなかったけれど、これが私にとっての〇〇です」という言葉が微妙に流行しているが、これは自分とって非常に都合の良い解釈をしているだけだとも言える。これを「適応機制」という人間の自己防衛能力の中で「合理化」と呼ぶ。詳しくは高校の保健体育で学習するはずである。
いや、もちろん物語の背景を知っていればもっと重みのある言葉として胸に響くのだろう。が、それなくしてそのセリフだけをいただいてしまってはいけないということである。「武道館でライブをした人に失礼」なのである。
「日本武道館」という名称を聞くと、私は必ずこのエピソードを思い出すのであった。
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