

煙はどこへ消えた
昔、『チーズはどこへ消えた?』という本がありましてね。
超簡単かつ雑に内容を説明すると「現状維持だとダメになるよ」という経営学の内容を、迷路に迷い込んだネズミたちがチーズを発見する寓話になぞらえて説明する本でして。「またここにチーズが出現するかもしれない」とチーズを発見した部屋から動かないネズミと、新しいチーズを求めて部屋から出ていくネズミを比較しながら描かれる物語である。
𝕏上に「煙@sol_4525」というアカウントが記念メダル界隈に顔を覗かせるようになったのはいつ頃のことだろうか。2024年の後半くらいだったかしら? 始まりに関する記憶は薄いのだが、2025年の初頭くらいには破竹の勢いで各地の記念メダルを収集する新興勢力(というとなんだか聞こえが悪いが)として、横浜茶平会さんと【よう実】のイベントでばったりお会いした時に話題にのぼったくらいに注目株であった(という言い方だとまるで上から目線だけど、そんな意識はマジでないです)。
記念メダルブログなんぞを運営しているせいでとかく”凄腕コレクター”みたいに見られがちな私であるが、実は常設メダルでさえいまだ十分に収集しきれていないという事実がある。千葉の南部にはほとんど行ってないし、東北も2013年以降にできた施設に関してはさっぱり回っていないし、北海道の函館エリアに至っては足を踏み入れることすらしていない。だから、バーっと全国の記念メダル施設を総なめにしていく人が現れると、素直に尊敬している次第である。Jasonさんとか(巻き込み事故を敢えて起こす)。
そんな新進気鋭の記念メダルコレクターだった煙さんは、コレクターが目指す一つの極地「茶平工業に発注するオリジナル記念メダルの制作」を早々にやり遂げたアグレッシ部に所属する方であった。まあぶっちゃけ金さえ出せば誰でもできるといえばできるのだが、SNS上に現れてからオリジナルメダル制作に至るまでの短い期間を鑑みれば、偉業に近い。この短期間でよくその境地に達したものだとびっくりした春の日の思い出。
私が既に失いつつある記念メダルそのものへの溢れる愛が余すことなく溢れ出ていて、世代交代の波を勝手に、一方的に感じていた(私も旅、ブログ、収集、メダルといったトータルでの愛はまだ健在ですよ! メダル単体への興味が薄味になっただけで。「記念メダル」の”記念”と”メダル”の関係が「記念>メダル」になっただけで)。
完成報告は2025年5月10日であった。
そこから数日後に、通販の実験検証が行われたようである。「匿名配送」がうまくいくかを検証するために購入希望者を一名募集していたような記憶がある。私はそんな告知がなされていることは露知らず、手を挙げ損ねてしまった。手を挙げた方の手元には、5月21日頃に届いたようである。
それから1、2日後に「アズカリ」という匿名売買・配送サービスを利用した通販が限定50名で開始された。こちらに私も応募して、無事購入させていただいたという流れである。購入に対する第一便は5月26日に到着した。私もこの日に届いたと思う。全然関係ないけど【モノマチ2025】の翌日ということになる。
で。
ここから先はすでに元アカウントが削除されているのでもはや辿ることができないが、たぶん5月中はまだ存在していたんじゃないかなと思う。アカウントが削除されたのは恐らく6月冒頭で、私がそのことに気づいたのが6月4日である。ちなみに、インスタにもアカウントがあったらしいのだが(私はインスタをやっていない)、それも同時期になくなってしまったらしい。
なぜ忽然と姿を消してしまったのか——いろいろと推測することは可能だが、いくら可能性を並べようと答えは出ないので、ここではそんな無粋なことはしない。
ただ「『煙』というハンドルネームを付けたのはこのときの為だったのかっ⁉︎Σ(゚д゚lll)」と思わせるような見事な消えっぷりにただただ脱帽である。煙のように消えたどころか、煙が消えたわけである。比喩でなく「煙が消えた」ところに文学的センスを感じざるを得ない。
私は人類にはSNSはまだ早過ぎたと考えている人間でなので、極論SNSをやらない方が良いと考えている。もちろんマスメディアや政治の既得権益を脅かすという大雑把な意味でプラスの面があることも承知しているが、単純に個人の幸せというものを考えると「プラマイ諸々差し引いた結果、マイナスになる」というのが私の中での結論である。極端な話、茶平工業がすべてのメダル販売場所を公開してくれるなら、𝕏辞めると思う。言わずもがななことだが、それは諸々の事情で不可能なことは承知しているので、そういう要望を茶平に対して強く出したいというわけではないが。
要するに「記念メダル収集に本気でなければ、とっくに辞めている」ということが言いたい。
旅先で記念メダルを発見したら買う——もう少し上のレベルでも「茶平の公式HPを見て買いに行く」というライトだけどちょっとヘビー寄りな収集でも、別に 𝕏を見る必要はない。公式がアナウンスしていない(できない)”隠れ記念メダル”も欲すぃ〜となってくると、 𝕏が必要になってくるのが現状である。まあかつては茶平公式HPに存在した「メダリアン広場」という掲示板が隠れ記念メダルの発見情報を共有する場であったのだが、晩年には定期的に荒らす輩が二人いたので(比重は一人にかなり寄っているが)、無くなって良かったまであるし、不思議と 𝕏の記念メダル界隈の方が全然平穏だったりする。実は私、 𝕏でアンチコメDMをもらったこともクソリプがついたことも、まだ無い。フォロワー数がそれに値する数ではないしょぼさだからだろうが、そういう意味では平穏といえば平穏である。
それにも関わらずSNSを辞めたいと思うのは、まあ単純に嫌なモノを目にする機会が多いからである。そしてそれらをどうしても見てしまい、いつの間にか時間が溶けていく。
どういう理屈かわからないが、SNSは一度見始めたらなかなかやめられない設計になっているというのを身をもって実感する日々で、こんなことをしている時間があるなら積読している本を読んでいる方が良い——と思いながらまた 𝕏を開いてしまう自分に自己嫌悪する日々。ああ無情。
だから、煙のようにフッと消えた煙さんには、羨望の眼差しすら送ってしまう。すごく憧れるのは「◯◯ということがあったので、 𝕏辞めます! 明日の何時にアカウントを削除します!」とかわざわざ言わずにさっさと消え去ったところである。もしかしたらやむにやまれぬ事情があったのかもしれないが、私はそのように、四の五の言わずにさっさと辞めてる姿に憧れる。が、きっと自分がいつか辞めるときには未練たらしくごちゃごちゃ言ってから「このアカウントは◯日の◯時◯分に削除します」とか言って辞めることだろう。
新たなチーズを探しに部屋から出て行ったネズミのように、自分の実績とかフォロワー数とか記録してきたこととかをあっさり捨てて、新しい可能性にワクワクできる人間でありたいものである。
記念メダルについて

図柄は「昔買っていたペット」とのことだ。オウムですかね? どうでも良いけど「おうむ」で変換するといっちゃん最初に「王蟲」と出てくる俺のMacBookどうよ。
切り絵的というか影絵的というかな印象のデザインで描かれる。今までにない新しい試みのデザインで、いきなりこのデザインにしたのは素直にすごい。挑戦が溢れている。金型代も掛かるのでン十万の制作費用が見込まれるのに。
きっと、とても大切にされていたトリさんなのだろう。
裏面も、トリさん。

昨今ではオリジナルメダルを茶平に発注するコレクターも増えてきた。その背景には道を切り開いてくれた先人たちの偉業がありつつも、「プリントメダルの誕生」が最も大きい。プリントメダルの誕生により制作費用をかなり抑えられるようになった——要するに、金型制作代はオリジナル記念メダル発注において最も高い障壁なのである。
しかし一方で、記念メダルコレクターだからこそ、昔ながらの金型メダルに憧れるという抑え難い気持ちも存在する。そうした中での折衷案として「(制作費用が比較的割安な)裏面は金型、おもて面はプリント」という一般販売のメダルでもよく見る形に落ち着くことになる(企業としたって新作を発注しやすいお値段であろう。裏面の金型を過去に制作済みであるなら尚更)。
しかし煙さんは「男の金型一本勝負!」でこのメダルを世に出した(いや、女性かもしれないけど)。別に金型だからすごい、プリントだからすごくないという話ではないのだが、お金は金型メダルの方が掛かるのは事実なので「なんかいきなりすげーな‼︎∑(゚Д゚)」という気持ちは事実として抑え難い。お金は大事。大切。
繰り返しになるが、なぜSNS上から忽然と消えてしまったのか——それはわからないし、ここでは推測もしない。
私にできることはただ、彗星の如く現れ、そして煙のように消えてしまった一人のコレクターが残したメダルを、歴史に埋もれることのないようここに残すことである。
まあ、このブログもいつかは無くなるのでしょうけれども。

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