静岡県【浜松市動物園】 記念メダル

ないんだ……どこにも。どこにもないんだ……

 ここは本当にまったく、全然、これっぽっちも記憶がない。まったく思い出せない。申し訳ない。なんなら本当に行ったかどうかも定かではない(行ったはずだが)。なので、語れることがない。なんということだ。

 人の記憶とは、淀みに浮かぶうたかたと同じである。かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたつためしがないのである。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。である(『方丈記』より)。

 いやー、正直こんなにも覚えていない場所というのも珍しい。というか、他にないのではないだろうか。こうなったらぜひもう一度訪れてみたいものである。ということは、新メダルの発売が待たれる。そう、新しいメダルさえ発売してくれれば、記念メダラーたるもの必ず再訪を約束しよう。そしてそのときには、きちんとしたレビューをいたそうではないか。だからお願い、新メダルを。私に新メダルを〜(魂の叫び)。

記念メダルについて

 これぞ昔ながらのデザインだなぁとしみじみする図柄である。昔の記念メダルはとても硬派なリアリティ路線のデザインが多く、コアな記念メダラーになると一周回って逆にこうしたデザインが琴線に触れるようになることがある。リアル路線すぎて、なんならキリンなんて皮膚病なんじゃないかと思うような斑点模様の再現度である。それなのに、ライオンは一転してパーマをかけたばかりの近所のおばさんを絵に描いたような様相で、「リアルとはなんなのか」という哲学的な問いを我々記念メダラーに投げかけてくる。ライオンのたてがみをこのような感じ(スラッシュ?)で表現しているメダルは実は他にない。

 二枚目のゾウのメダルは完全なるリアルを追求しているといえる。ウケは悪いだろうが金型を彫る職人の技術力の高さを惜しみなく表現している。皮膚の質感なんて、よくこれをプレス機での製造で表現できるなと感嘆してしまうほどである。それなのに、くどいようだが一般的なウケは悪いだろう。こうしたリアル路線のメダルは、時代の古臭さを感じさせてしまう。そして、事実として最近ではめっきり見られなくなったデザインである。今だったら、メダル裏面に描かれているデフォルメされたゾウが、おもて面に描かれるかもしれない。

 技術力と受容(需要)は比例するわけではない——日本が直面しているこうした社会問題を端的に顕在化させているのが、記念メダルにおけるデザインの推移なのかもしれない。とそれっぽいことを超テキトーに言ってみる。




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