【海上パビリオン 鳥羽ぶらじる丸】は、三重県鳥羽市の近鉄鳥羽駅前の海に係留されていた元貨客船の観光施設である。「海上パビリオン」と銘打たれているのは、一隻の船として港に係留されているものの、客船としての役割は終え、入場料を取りレストランやお土産屋などが入った観光施設として存在していたからである。似たような記念メダルスポットに現在でも神奈川県の【戦艦 三笠】がある(当時物ではないが)が、あんな感じであろうか。1954年に竣工し、1974年に貨客船としての役割を終えて海上パビリオンとして第2の人生を歩み出した。その後1996年まで海上パビリオンとして営業されていたが、業績不振により中国の企業へ売却され、上海まで曳航され、解体される予定であったらしい。ところが、1997年にさらに他の中国企業が買収し、水族館などが入るアミューズメント施設としてド派手な電飾を身にまとって生まれ変わり、現在も生き残っているらしい。
元々はその名のとおり戦後のブラジルへの移民団を乗せて大海原を旅した船であったらしいが、移民政策自体が下火となって、途中からはクルーズ船の走りのような移民とはあまり関係のない船旅そのものを提供する客船として営業されるようになったらしい。が、収益はあまり上がらず、引退→海上パビリオンとしての人生を歩むこととなったようである。純粋に船として生きたのが20年、海上パビリオンとして生きたのもおよそ20年、そして現在では海を変え国を変えアミューズメント施設として生きて、およそ20年である。船としては、非常に数奇な運命を背負った客船であるといえよう。たらい回しにあっているともいえるし、しぶといともいえる。結果、長生きで還暦を超えた。こういう人間こそしぶといという見本のようである。船だけどね!
特に、中国企業への売却からアミューズメント施設への変貌は誰もが予想していなかった事態らしく、日本を出航するときには盛大に「お別れ会」が催されたらしい。これが最後の姿と見送り汽笛を聞いてじーんとなっていたら、中国で生きていてびっくりというブログがあった。思い入れがある人にとっては嬉しいニュースなのか、はたまた思い入れがあるからこそ裏切られた気持ちになるのか。大好きだった人が今も元気でいるということ自体は嬉しいが、自分の知らない誰かと結婚して子供もいるところを見るとなんだかなーみたいな感じ?
私は客船というものが好きである。【太平洋フェリー】に乗って北海道に記念メダルを巡る旅をしたときは、なんなら北海道そのものよりも楽しかったくらいである。いつかまた、あの時のような、心の底から自由だと思える旅がしてみたいものである。海の上ではどんな無礼講もバレないし( ̄▽ ̄) ああ、3億くらいとセットで自由が欲し〜
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