私の友人が新婚旅行先のドイツで買ってきてくれた記念メダルである。もともとこうした記念メダルは海外が発祥で、「スーベニアメダル」と呼ばれている。ディズニーランドで売っている楕円型のメダルもそう呼んでいる。だが私はあくまで「記念メダル」と呼ぶことにしている。なぜか? それは誰にもわからない(意味不明)。
ちなみに海外の記念メダル自販機はこんな感じらしい(左側の自販機のメダル)↓
バカみたいにすげーでかいのにビビる。邪魔やん(記念メダラーにあるまじき発言)。
さて、私は先日行われたその友人の結婚式で余興を担当した。コンセプトは「金と時間と手間をかける」であった。金をかければ、気持ちが伝わる。時間をかければ、気持ちが伝わる。手間をかければ、気持ちが伝わる。そうーーすべては気持ちを伝えるためである。内容はどうあれ(←ここ重要)、金と時間と手間がかかっていることが伝わればとりあえず喜んでもらえるだろうという目算であった。社会人になってはや十数年、「人は何に感動するのか」を考え抜いた結論である。つまり、消費するものが大きければ大きいほど心に響くのである。その点、「てんとう虫のサンバ」を歌うというのは、金も時間も手間も全くかかっていない、逃げの一手といえる。与えられた舞台を「チャンス」と捉えるのか「回ってきた仕事」と捉えるのか、人間性の出るところであることよ。
来客者への評判がどうだったのかはもはや発表者本人には知る由もないのだが、一つ言えることは、金をかけたことは伝わっただろうということである(←ここ重要)。お金をかけたことが伝われば、すなわち愛が伝わる。愛だけでは金は得にくいが、金で愛は容易に伝えられるのである。そして、金をかけねばなかなか伝わりにくいものでもある。それが、愛。
ケチでは人を感動させられないのである。感動させられるとしたら、「そのセコさが逆に感動」みたいな皮肉めいた賞賛であることだろう。あるいは、天才的な才能があれば感動を呼び込むことも可能なのかもしれないが、残念ながら持ち合わせていない。あるのは金をかける覚悟だけであった。
余興の制作にはやはりいろいろとトラブルがあったものの、自分もここまでやりきれるようになったんだな〜という自己満足ではあるが大きな仕事を終えた後のような充実感があった。何事も一生懸命やるってことは、大事なことだね。
一生懸命本気で一生の恋のつもりで愛したあの人は、僕のもとにはとどまらなかったんだけどね! 金のかけ方がいまいちだったか!?(そういうこと言ってるからダメだという例)
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