似て非なるもの【ビットコイン】 記念メダル

 世の中が仮想通貨に湧いている現在、私もご多分に洩れず興味津々である。ただ私は仮想通貨の取引には一切手を出していない。なので、上記写真の【ビットコイン】が言ってみれば私が初めて手を出した仮想通貨であるといえる。いやー、メダルの形をした物はなぜだか欲しくなるのはな〜ぜ〜。記念メダラーのSA・GA。

 私が仮想通貨に興味を惹かれるのは、そのネットワーク技術である。いわゆるP2Pというやつで、「P2P」という言葉が世に流行したのは「Winny」がきっかけであったと考える。私は超今更ながらこのWinnyの仕組みを勉強しているので、P2Pという技術に大注目なのである(ちなみに現在でもWinnyの利用者はほそぼそながら存在するらしい)。ただWinnyの仕組みは【ビットコイン】のネットワーク技術とは共通するところはあまりない。どちらかといえばIP電話(今で言えばLINE通話)やSkypeにWinnyの技術は生かされている。Winnyの技術は現代に生かされているのである。悪用した奴がたくさんいたのが問題となっただけで。野菜を切るために包丁を開発したら人を刺す奴がいっぱいいて問題になったということである。ノーベルが岩を壊すためにダイナマイトを開発したことと似ている。

 P2Pというのは、簡単に言えば「あなたのパソコン(スマホ)と私のパソコン(スマホ)で直接やりとりする」という技術全般を指す。という説明をすると大抵「それってすごいの?」と問い返され、「別にすごくはないけど(いや、すごいけど)意外とないのよ、今の世の中」というと、大抵メールやLINEの話になる。メールやLINEはあなたと私でやりとりしているじゃないの、と言われる。で、「いや、メールもLINEもあなたと私の間にはサーバがあるのよ。だからあなたが私にLINEでエロ画像を送ったら、私だけじゃなくてLINE社の人も理論上は見られるのよ」というと、大抵ウッとした顔をされる。きっと脳裏に浮かんだ失態があるのだろう。サーバとか技術的な説明とかはイマイチわからなくても、「LINEの人も見られる」という点にぎょっとするのだろう。(まあ正確にはLINEの「通話」はP2Pだが)。

 社内の情報セキュリティ研修で、「会社が発行したアカウントで送信したメールは、私が見ようと思えば全部見れますよ〜」と釘を刺すと、大抵私用メールをしている姿を見かけることは減る。が、その代わり、社内規則で使用を禁止しているブラウザメール(GmailとかYahooメールとか)でメールする姿に変わるだけで、あまり意味をなさないともいえる。職場の人間に見られたら咎められるような内容のメールを社内アカウントで送るんじゃないよ、というか勤務中に送るんじゃないよ、とネットワーク管理者としては思うのだが、ここには「メールは秘匿されたもの」という根本的な誤解があるように思う。例えばお手紙を書くとして、投函したハガキに、読んでいて恥ずかしくなるような愛の言葉が目立つようにたくさん書き連ねられていたら、きっとそのハガキを配達した郵便局員は酒の席で酒の肴にその内容を笑い話として話してしまうことだろう。「こんな手紙があってさ〜ww大草原」と。それはすなわち、ハガキで出せば郵便局の人は内容を見ることが可能であるということを意味している。それが嫌ならせめて「封筒」で出さなければならないわけである。この「封筒」にあたるのが「暗号化」である。昨今話題の「フリーWiFi」における諸問題とも通ずるが、暗号化されていない通信でやりとりするということは、ハガキにクレジットカード番号と暗証番号を書いて送るようなものなわけである。いつ誰に内容を見られてもおかしくないノーガードの状態で通信しているのと同じ、そして、ネットワーク通信にはあなたと私(のコンピュータ)以外にも関わる人(コンピュータ)がいる場合が多いのよ、ということである。

 話が多少逸れたが、超厳密にいえばP2Pであってもあなたと私以外誰も関与しないというわけではないのだが、少なくても「サーバ」という中間業者が介入することはなくなる。私のこのアメブロの記事一つとっても、実は私はアメブロのサーバにデータをアップロードしているだけ、あなたはアメブロのサーバからデータをダウンロードしているだけ、と、あなたと私の間には実は何のつながりもないのである。

 ということが意外と理解されていないからこそ、LINEやメールで平気で自撮りエロ動画を送ってしまうのだと思われる。余談だが、同じようなことはプリクラでエロ写真を撮ることにも言えるのであった(プリクラ機の中にデータは残るし、それを店員は見られるし、実際見てるし保存して持ち帰る奴もいるし)。

 仮想通貨の革新的な点の一つに、P2Pでやり取りするーーサーバを介さないーーつまり、「管理者」がいない、という点が挙げられる。P2Pでやり取りすること自体は「ネットワーク上の管理者がいない」という意味にとどまるが、やり取りされるものが「通貨」となると、「通貨の管理者がいない」ということをも意味するようになる。それで成り立っているから信じられないわけである。

 例えば、1万円札だって、言ってみればただの紙とインクなわけである。それが肉や服や家電など実用的な物と「交換」できるのは、政府と中央銀行がその価値を保証しているからに他ならない。逆に言えば、その価値の保証がなくなった瞬間、1万円札は正真正銘のただの紙とインクに成り下がるわけで、食べても腹が膨れない紙切れと、食べて美味しくかつ生きるのに必要な肉とでは誰も交換してくれなくなるだろう。1億円の現金が目の前にあったとしても、「日本という国」がなくなった瞬間、目の前にあるのは1万枚の形の揃ったただの紙切れに成り果てるわけである。

 それが、仮想通貨はそうではない、という訳である。少なくても今現在の【ビットコイン】はそうではないのが実に革新的なわけである。

 【ビットコイン】というアイデアは、調べれば調べるほど「ルパンに出てくる大悪党が描く野望」みたいな壮大な思想の元に考えられていることがわかってくる。私ももちろんいまだ勉強中であるので特に技術面のことは深くは言及しないが、魅了されるのはまさにその壮大な思想面なのである。開発者とされる「サトシ・ナカモト」なる人物が何者なのかが謎だというところもそれこそ漫画みたいな話で、その思想どおりに世の中が動き出したことにも驚愕するとともに薄気味悪さを感じざるを得ない。管理者のいない「通貨」が、現実に価値をもち始め、価格が乱行しているとはいえ「ゼロ」から生み出され、「ゼロ」から始まったものだと考えれば、とんでもない価値を帯びたわけである。「サトシ・ナカモト」の思想通りに。これが漫画だったら、絶対に悪の大王のポジションである。お前は「キラ」かと。

 しかも、このシステムをコントロールできる者、牛耳る者は一切いないのである(と言われているが、実際には「51%攻撃」とか考えうるリスクがないわけではない)。

 その点、「コインチェック」という取引所から「NEM」と呼ばれる仮想通貨が流出した事件では、「NEM財団」なる存在が公の場に現れ、物議を醸し出した。単純にいえば、仮想通貨は管理者がいないことが一つのウリだったはずなのに、管理者っぽい連中が現れたわけである。そして流出した「NEM」の追跡は技術的に可能で、その行方はほぼ把握しているというコメントに対して、根本的な危機感を抱かざるを得ないのである。なぜなら、今回の事件に限って言えば「流出」という損失事件であるのでその奪還が可能であるならば、という期待が先行しているが、どこの誰ともわからない、平たくいえば聖人君子かどうかもわからず国の中枢を担うわけでもない言ってみればちょっと頭の良いただの一般人の集団に、「通貨」の状況を全て握られているということを意味するからである。流出した「NEM」の行方を把握できるならば、正常に取引されている「NEM」の現状も全て把握されていると考えて差し支えないわけである。正体不明の、一般人を出し抜けるくらいはるかに頭が良いだろう頭脳集団に。そこに問題はないのか、ということである。

 そういう点でも、【ビットコイン】という思想は、他の仮想通貨と比べても非常に優れていると思う訳である。「サトシ・ナカモト」なる人物は絶対に莫大な【ビットコイン】を保有していて今では超ウハウハなはずだが、逆に言えば、欲張らずそれだけで済ましているともいえる。NEM財団のように、流通に何らかの存在が関与しているような匂いが漂ってきた瞬間、仮想通貨は特定の人間の手の上で転がされてしまう非常に危険なものとなると考えられる。

 次に、マイニングという行為そのものについて言及する。その前にそもそも【ビットコイン】とは何なのかというと、いうなればただの「取引台帳」なのである。過去の取引を全て記録している台帳で、あなたが私にその「台帳」を手渡すと、「あなたが私に台帳を手渡した」という新しい取引記録がその「台帳」に記帳されるという仕組みである。これを「ブロックチェーン」と呼んでいる。ただし、「台帳」への記帳は、自分達ではできないというのがミソなのである。

 マイニングというのは、簡単に言えばこの取引の「記帳をしてあげる作業」のことである。そして、これには膨大な計算量が必要らしい。この「取引の記帳」は、あなたと私以外の、全く別のどっかの誰かが一斉に先を競って行い、あなたと私の間で行われた取引が他の誰かによって記帳されると、取引が成立するという仕組みである。そして、「取引の記帳」レースに参加して見事一番手で記帳してくれた人には、新たな【ビットコイン】が進呈されるという仕組みである。マイニングと呼ばれるこの「赤の他人たちの取引に対する記帳作業」にみんなが参加するのは、このように「新しいビットコインがもらえるから」というわかりやすい理由による。それをマイニング(採掘)と呼んでいるわけである。思うにこの「マイニング」というネーミングが仕組みをわかりにくくしていると思うのだが。。。

 【ビットコイン】というものの正体がいってみれば「取引台帳」だということを述べた。この「取引台帳」の正しさを保証するのは、実は多数決なのである。正確には、「取引の台帳への記帳」レースによって一番手になった人が行った「記帳」が正しいかどうかを、他の人達が確認するのである。正しい「記帳」でなければ二番手だった人にビットコイン獲得の権利は移るようになっているのだが、その正しさの根拠は多数決で、もし過半数の人が一番手だった人と同じ計算結果でなく、かつ、二番手の人と同じ計算結果だったとしたら、二番手の人に権利が移るという仕組みなのである。

 このことから、過半数以上の力をもった人はいくらでも不正ができるという理屈が成り立ち(自分のところの計算結果を「正解」にできる)、事実その通りである。過半数以上の力を占めたときに行われる不正のことを「51%攻撃」と呼んでいる。そして実際、それが可能となったことが過去1度だけ存在したらしい。

 しかし、現状を鑑みれば自ずと理解できるだろうが、その時はそうした不正は行われなかった。そして、このことは考案者である「サトシ・ナカモト」も実は想定済みで、論文の中でその危険性の低さを先に指摘ずみなのである。

 主な理由は二つある。

 

 ・51%攻撃が行われた瞬間、ビットコインの価値はゼロになる(価値の信用がなくなるから)。すなわち、攻撃者が保有する資産価値もゼロになる。

 ・世界の半分以上を上回る強大なパワーを持ったなら、それこそそのパワーを生かしてマイニングをした方が経済的に得である。

 

 つまり、「合理的に判断した結果として正しい取引をした方がよい」という仕組みを作り上げているのである。人間の本質を気持ち悪いくらいに突いた、よくできた仕組みであるといえる。サトシ絶対性格悪いだろと思う次第である。ポケモンマスターを目指すサトシとは大違いである。

 【ビットコイン】が初めて「通貨」として使われたーーすなわち「通貨」としての「価値」を帯びた瞬間は判明している。アメリカのブログラマーが「1万ビットコインをあげるから、誰かうちにピザを届けてくれ」と呼びかけたら、あるイギリス人がアメリカのピザ屋に電話してこのアメリカ人プログラマーの元に本当にピザを届けさせたのである。そしてイギリス人はその対価として約束通り1万ビットコインを受け取った。1ビットコインは2018年3月4日16時過ぎ現在で110万円以上するので、現在だったら100億円以上するピザだということになるw。

 ここから始まり、【ビットコイン】は本当に「通貨」としての価値を帯びていくことになる。現在では、ネットストアや一部実店舗の電子決済で【ビットコイン】による支払いが可能となった。正真正銘の「通貨」としての働きをするようになったのである。まあ実際には「決済」というより「取引」という形で清算しているところが多いようだが。「取引」ということは「取引手数料」を取引所に支払わなければならず、余分に金がかかるということである。本来の性質であるP2Pネットワークという形を考えれば、【ビットコイン】での支払いは【ビットコイン】のまま受け取るというのがあるべき姿であるといえる。さすれば、手数料は一円たりともかからない。支払われた【ビットコイン】を換金するときの手数料は店側の負担になるということである。店側はそれを嫌がるので、ビットコインでの清算は客側に取引所での換金をさせて、その換金した金を受け取るという仕組みに現状ではなっている。実につまらない話である。それだったらそもそも【ビットコイン】での支払いなんて受け付けなきゃいいのにと思ったり思わなかったり思ったり。

 まあ現状では、言ってみれば「金の延べ棒のまま支払いを受け付けるか、換金してから来てちょーだいというか」であるといえる。「仮想通貨」と呼ばれてはいるが、その実はただの投資対象でしかなく、金や株式と似たようなものなのである。これを本当に通貨として使うならば、先にも述べたように、【ビットコイン】を【ビットコイン】のまま受け取る店側の度量が必要である(そういう店もあるにはあるらしい)。

 「サトシ・ナカモト」なる人物がどこまでを想定してこの壮大な思想と仕組みを作り上げたのかは謎であるが、世界を揺るがすものを、本当にゼロから作り上げたという点に、興味が惹かれてならない。しかもそれは、目に見えない、実体のないものなのである。実体のないものに価値を付加した、しかもその価値に対する信頼の根拠を「自分を含め管理者がいないこと」という要素で逆説的に作り上げたことに驚愕なのである。

 しかし一方で、人間は目に見えないもの、実体のないものを恐れる。恐れて、名前を付けたり、形作ったりする。不可解な現象に対しては「妖怪」という概念を生み出して名前とその根拠を与え安心する。形而上のものを形而下におとしこまないと不安でしょうがないのである。

 この写真の【ビットコイン】は、まさにそんな人間の不安を解消させるために生み出されたものであるといえる。目に見えない未知のものに形を与えた。ちょっとオシャレに、それっぽく見せて、そして安心する。お値段三枚セットで980円ナリ。

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