物議を醸した手描きメダル
茶平工業公式通販の【手描きメダル】は、コロナ禍において観光業が大打撃を受ける中で誕生し、そして世の中が”コロナ後”に徐々に移行していく中でいつの間にか消えていった幻の記念メダル群である。
元々はコロナによる観光業の縮小に伴いメダル製造の受注が減る→一時しのぎ(?)として実に十数年ぶりに通販事業を再開するという流れの中で、一つの目玉として生まれたのがこの【手描きメダル】だった。そして”手描き”という特性上、数量限定となったことが、後に事態を紛糾させることになる。
手描き第一弾、第二弾と発表される頃はまだ平和だった。なぜなら——詳細はよくわからないのだが——最初の頃は欲しいと思った人がほぼ購入できていたからだ(たぶん)。コロナ不況に喘ぐ我らが記念メダル製造メーカーを「がんばれっ(>_<)」という応援の気持ちを含めて、皆が購入していた。
しかし後に、あまりの手間に「正直キツい……」と思ったのか、「先に制作して、できた数だけ売りたい」という方針に転換したのか、はたまた「限定感を演出したい!」という販売戦略を取ってみたのか真相は謎であるが、数量限定での販売がスタートした。正確には「最初から数量限定ではあったが、はっきりとした枚数を告知していないし、発売も唐突だった」というところを、「発売の時期と数量を宣言することにした」というように変わった。
世の中にどれほどの数の記念メダルコレクターなるものが生息しているのか謎なのだが、これが一瞬で売り切れる事態になったため、事態は紛糾していく。記念メダラーたちの阿鼻叫喚が、記念メダル界隈という狭い世界に響き渡った。
それまでは「発売されていることに気づいた人間が購入できる」という条件だったものが、よーいドンの一斉スタートを強いられることになった。この点に関しては正直どちらが良いのか、どちらがより公平なのかはいまだにその答えはでない。ただ、私も最初は争奪戦参戦者で直に体験したことなので、以下は当事者としての素直な感想である。
まず販売開始は平日の10時からとなることが多かったのだが、そこが「なんだか平等じゃなくね?」 と感じる根本原因だったように今にすれば思う(初回は休日であったが)。
例えば、これが10:05とかだと、もう完全に売り切れているのである。10時ジャストタイムに接続し必要項目を光の速さで入力して迷うことなく購入処理を完了させないと、「売り切れました」の文字があっさり画面に表示された。
で。
平日10時とか普通に仕事中だしと誰しもが思っていたと思う。それなのに、一瞬で完売していた。Twitterでは勝者の喜びと、敗者の「遅くなっても良いから受注生産にして欲しい! 欲しいのにとても買えない!」という悲しみで溢れかえっていた。
私はというと、ざっくり言えば「最初は買えたが、一度購入できないとまあもうどうでもいいやってなった」って感じである。これは多くのコレクターに共通した境地なのではなかろうか。特に努力したけど買えなかったという経験をすると、非常にバカバカしい気持ちになるものだ。人気アイドルのコンサートチケット争奪戦じゃあるまいし、と。
こういう気持ちになると、後に受注販売になったり、一時の熱狂が少し収まって仕事後に何気なくチェックしたら在庫がまだ残っていたりしても、なんだかもういいやという気持ちになって手描きメダル自体を購入しなくなった。仕事終了後に何気なくチェックしたらまだ在庫があって「そんじゃまあ買っておこうかな……」という非常に低いテンションで購入したことはあったものの。
一言でいえば「これに毎回振り回されるのはたまったもんじゃないわ」と、一回争奪戦に敗れたときにプチっと気持ちが切れたのである。
私は正直もうどうでもいいや——何ならもう見たくもないくらいに思っていたのだが、戦いに敗れし一部のコレクターたちは何度も「受注生産にしてくれ!」と涙ながらに訴えていた。
その要望に応えてか、いつからか受注生産方式へと変更されたのだった。
コロナ禍を機に、いろいろな挑戦をした我らが茶平工業。
観光業の復調を果たした現在においても、このときの経験が何らかのことに生かされていることを願っている。
マニアを相手に商売をするって、本当に難しいよね。いちいちうるせーし(こんなブログを書かれてしまうくらいだから)。
(手描きメダルが発売された直後に描いた項)手書き富士山&ドクターイエロー
茶平工業直販通信販売企画第4段として、「手描きメダル」なるものが追加された。これが未だかつてない、想像だにしなかった企画で、同時に完全にコレクターをターゲットにした企画であるといえる。他の直販メダルも暗にそういった面はあったが、このメダルは清々しいほど記念メダルを愛する人にのみ届ける仕様となっている。「手描きで」という愛の込め方、そして何とも言えないデザインが如実にそれを表している。
まったくの余談であるが、私は幼稚園での「卒園制作」で、「富士山をバックに0系新幹線が走行する看板」を制作したという思い出があるのだが、このメダルを一目見たとき、30年以上前のそのときの光景がありありとフラッシュバックした。私は誰が塗っても問題ない車体の白を塗った(ような気がする)。
「ドクターイエローと説明されなければ富士山の手前にある黄色い物体が何だかわからなかった」等、商業的に考えればいろいろと(・Д・)な点はあると思われるが、そういうものではないので良いのである。これはきっと、記念メダラーの皆さまへの茶平工業からのありがとうのメッセージなのである。
なぜなら、どう考えても作るのめんどくせー( ´ ▽ ` )からである。
一枚あたりどれくらいの時間で完成させられるのかは不明だが(そのうち聞いてみたいな!)、15分で完成できるとしてもメダルの原価と人件費を考えれば儲けはほとんどないのではないかと推測する(たぶん「下書きする人→白をのせる人→青をのせる人……」みたいに工程を作って流れ作業的にやるとは思うけれども)。このメダルだけに限ったことではないが、発送作業もそれなりの手間(コスト)が掛かるし。当然大量生産は不可能であるので、そもそもこのメダルで儲けようという気持ちは希薄であると考えられる。なんならそのうち注文が来るたびに舌打ちしてしまうかもしれない(ないと思います)。
もちろん本当の真意は知る由もないが(そのうち聞いてみたいな!2)、こう考えるとなんだか嬉しいよね! ということで、そのように勝手に宣伝しておく次第である。
茶平工業とあなたとを結ぶ記念にみんな買いましょ〜(うまいこと言っている感)。
記念メダルについて
【手描きメダル】というアイデアがどのようにして誕生したのかは、実は定かではない。が、私の超勝手な個人的予想としては、おそらくかつて活躍していた着色職人の方達に仕事を割り当てるという意味合いが大きかったのではないかと考えている。メダル用のインクジェットプリンタが登場後——併用していたとはいえ——着色職人の活躍の機会は激減したであろうことは容易に想像できる。メダルマニアはもちろん「昔ながらの注射器による着色がいいな〜」と考えている者が大半なのだが、それは世の中では少数派と呼ぶ。
長年培った職人の着色技術をこのような形で生かしていたこの【手描きメダル】というアイデア、たまに、受注生産方式でやるなら、きっと末長く愛される企画となるのではないかと個人的には考える次第である。
ぜひ遠慮なく復活させていただきたい。色々な意味でもうやりたくないと思っているだろうが。
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