三重県【鈴鹿サーキット】 記念メダル

 「鈴鹿8耐」というのは、正確には「世界耐久選手権」という世界選手権の中の1戦である(大体、第5戦くらいで開催される)。ただ、日本ではそんな情報より「鈴鹿8耐」という一つの固有名詞が群を抜いて有名であり、レースというものに全く興味のない一般人は「クルマのレースはF1、バイクのレースは鈴鹿8耐」みたいな認識ではないかと思われる。バイクのF1的ものに「モトGP」というバイクレースの最高峰があるのだが、恐らく「鈴鹿8耐」よりもかなり認知度は低いだろう。すげー面白いのに。バレンティーノ・ロッシは、私の心の英雄である。

↓20代前半で世界タイトルを獲得したときは、もっとイケメンでございました。

 彼は「これ以上の『上』がないなら、自分を下げてまた高みを目指す」ということをして、一度捨てた頂点を再び獲得するということを成し遂げたのである。具体的にいうと、ホンダで3年連続世界チャンピオンを獲得したとき、レースへのモチベーションを保つために、「モトGP」で一度も勝利をしたことがないヤマハへ移籍して、移籍早々の第1戦で結局勝利した。そしてその年もまた年間チャンピオンとなり、ヤマハに初の「モトGP」タイトルを献上したのである。

 天才がここまでの向上心をもって自分の仕事に取り組んでいるのに、凡人が向上心を失くしたらお終いだな、と思うのである。職場のめんどくさい方々は、向上心を失った凡人であるといえる。向上心を失った凡人は、やらない理由ばかりを考えるのである。とか言っている私もそうかもしれないけど

 そんなバレンティーノ・ロッシは、この「鈴鹿8耐」でも優勝している。その時コンビを組んだ「コーリン・エドワーズ」というライダーも「世界スーパーバイク選手権」という世界選手権で8回くらい年間チャンピオンになっているのだが、そのコーリン・エドワーズが数年後「モトGP」の舞台でロッシのチームメイトとなったとき、「ロッシは天才過ぎるからね。自分とは違う才能があることを認めなきゃ」と語り、ロッシのサポートに徹するようなレースをすることが度々あった。実は私は、コーリン・エドワーズのこうした姿勢にものすごく感銘を受け、「自分の仕事のスタイル」としては、実はこのコーリン・エドワーズの在り方を目指しているところがある。こうした姿勢や想いはたぶん賛否両論だろうが、自分の在り方というものを思うとき、人の実力と自分の立場を考えて、それでも投げ出すことなく自分の仕事に徹することもまた、プロフェッショナルの一つの形だと考えるのである。

 というように、「鈴鹿8耐」には個人的な熱い思い入れがあるので、語り出すともはや止まらないのであった。

 日本全国からバイク乗りが集まる異様なお祭りであるこの「鈴鹿8耐」、久々に観戦しに行きたくなったたぶん行かないけど。変わっちまったのさ~

 また、鈴鹿サーキットは実は遊園地が併設されているので、レース観戦をしなくとも楽しむことができる。そしてこの遊園地が意外とレベルが高く、親子で楽しめる優良テーマパックとなっている。

 サーキット併設の遊園地だけあって、乗り物に乗って運転する系のアトラクションが多い。特に、子供でも実際に運転することが許されているアトラクションが多く、クルマの運転に異様に憧れる世代の子供にとっては絶対楽しいこと間違いない。私もこんな穢れた大人になる前にぜひ訪れてみたかったものである。

 また、最近新設されたアトラクションに、「サーキットチャレンジャー」という、ちょっとかっこいい電気自動車に乗って鈴鹿サーキットの西コースを実際に運転できるアトラクションがある。

 

↓やる気を喚起するかっこいいデザインの電気カート。ゴルフ場のカートとは違うぜ!

 

 これが超楽しい。鈴鹿サーキットの実際のコースを走れるというだけで楽しい。きっと女子には全然理解してもらえないと思うが、これがほんとに楽しいのである。

 「鈴鹿サーキットを走ってみたい!」という思いから、「鈴鹿市民マラソン」というマラソン大会に参加して自分の足で走ったことはあったが、 クルマに乗って走ったのは初めてであった。「鈴鹿サーキット」は、実際に降り立ってみると分かるのだが、ほぼ坂で構成されている。だから、自分の足で走ると超難コースであったのだが、クルマで走ると超ラクだった。自分の足で走るようには設計されていないことがよくわかった次第である。

 

↓走り終わると運転技術を評価する成績表がもらえる。アクセルコントロールが満点だが、アクセルはベタ踏みしかしていない。基準がよくわからんぞ!

 

 そんなこんなで、「鈴鹿8耐」記念メダルは、どうしても手に入れたかったメダルであるので、超お気に入りである。8耐当日とか、刻印入りですげ
ー売れそうな予感。

 それくらい、バイク乗りの「鈴鹿8耐」に対する想いは強いのである。

29年5月23日 追記
 5月22日、ニッキー・ヘイデンの死はあまりにも悲しい。
 今は廃刊となってしまったが、『ストリート・バイカーズ』という雑誌を愛読していた者全員にとって、ニッキー・ヘイデンというライダーは特別な存在だったはずだ。トラッカーというバイクのジャンルや、ダート・トラックレースという文化を知らしめたのは『ストリート・バイカーズ』であり、ダートトラックといえばニッキー・ヘイデンであった。ニッキー・ヘイデンがびっくりするくらい男前であったのを世に知らしめたのもこの雑誌である。
 鈴鹿8耐でいえば、初参戦した2006年、スタート直後にエンジンブローした車両から噴き出したオイルに乗ってしまい2周目の第1コーナーで早々に転倒→リタイアとなったレースが有名である。このレースはその他にもいろいろと後世まで語り継がれるドラマが満載のレースだったのだが、何よりも、ニッキー・ヘイデンが駆る「セブンスター・ホンダVTR1000SPW」の美しさに、ライダー達は心が奪われた。バイクももちろん美しいが、それを駆るニッキー・ヘイデンの両輪スライド(というかもはやドリフト)走行に、ライダーたちは感嘆した。このセブンスター・ホンダのカラーリングは長い間ライダー達の憧れの象徴となり、レプリカを製作する者が続出した。それくらい美しかった。
 バイクレースは美しい――それを体現していたのが、セブンスターホンダであり、ニッキー・ヘイデンであった。


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