邪道【夢の超特急】 記念メダル

 全く以って詳細不明である。かなり年代が古いタイプで恐らく亜鉛製。メッキも浮き出て剥げかかっている。茶平工業製記念メダルが世に認知される1970年の【大阪万博】以前のものなのではないかと予想する。ただ、通常サイズの31ミリメダルなんだよね~(古いメダルで31ミリなのは珍しい。特に亜鉛に銀メッキで「今にも剥げそう」みたいなメダルは大抵38ミリ)。

 【大阪万博】以前のものだと仮定し、かつ、裏面共通の【夢の超特急】という言葉及びイラストを鑑みると、1964年に最初に開業した「東京―新大阪」間の開通記念メダルなのではないかと予想する。新幹線が世に初登場するという時の物なら、新幹線に対して【夢の超特急】という言葉を使うのもなんとなく頷けるし、年代的にも符合する。

 鉄道の歴史の象徴たる「蒸気機関車」と、これから生まれる夢の超特急「新幹線」をおもてと裏で対比させる構図は【東京ー博多間開通記念】でも使われた手法である(こちらの方が後だが)。

↓ちなみに【東京ー博多間開通】は75年です。10年経ってすっかり夢ではなくなったので【夢の超特急】の文字は消えた!?

↓ちなみに【新幹線博多開通記念 福岡博‘75】メダルもそんなような構図

 

 新幹線開通とともに鉄道の歴史の象徴・蒸気機関車を振り返るのは新幹線開通記念あるあるである(ごく限られたシチュエーションでのあるある)。

 しかしながら、とにかくほんとに何よりもまず、私は鉄道に全く、全然、これっぽっちも興味がない。特に蒸気機関車には一ミリの興味ももてず、よく言われる全部同じに見えるという現象が容赦なく私に襲い掛かる。そして、蒸気機関車に限らず「興味のないものは全部同じに見える現象」に苛まれる人を前にしたときにそれを愛する人がとりがちな誤った行動として「違いを事細かに説明する」という、お互いにとって不幸しか生み出さない悲劇が存在する。

 なぜ同じに見えるのか――それは絶望的なまでに興味がないからである。決して「同じに見えちゃうから、違いを知りたいな~見分けられるようになりたいな~うふん」という気持ちで「全部同じに見えます」と言っているわけではないのである。「今後一生同じように見えたままでも全く困らない」という意味を内在させて「同じに見えます」と言っているのである。だから「いや、違うんですよ。〇〇系はこうで、△△系はこうなっていて、初めてこれが取り入れられたときは画期的なことで……」と親切心から話し出してしまうのは、見込みのないナンパを延々と続けるナンパ塾の生徒のようなものである。

 ということが、つい最近実際あったので、ご報告までに。もちろんナンパの方でなく。

 実は近々、東京出張へ行く予定である。その際、記念メダラーとしては当然「ついでに記念メダルを買い漁る」というのが納税と同じくらいの義務としてあるわけじゃないですか(謎の呼びかけ)。だから一緒に出張する20代のうら若き女性社員に「スカイツリーに行ったら、6周年記念メダルというのがあってね、それを買いたいの。さらに毎年純銀製のメダルも発売されるから、1枚1万円で消費税だけでもう一枚普通のメダルが買えるけど、それもぜひ買いたいんだ。さらに、スカイツリーは浅草に近いから、走ってダッシュで行って戻ってくるから、【浅草花やしき】までメダル買いに行ってもいい?」と言ったら、普段どんなことにも屈託なく笑顔で応じ、職場では元気印の活発なとても可愛いかつ優しいかつよく気が利くまるで「良い子」を絵にしたような女の子(お世辞抜き)が、心の底から哀れな人間を前にしてどのように振る舞ってよいのか分からず途方に暮れるような目で私のことを見ていた。「何枚も要るものなんですか?」彼女は私にそう問いかけ、私は一枚一枚全然違うこと、何ならオリジナルの記念メダルすら製作したことがあることを丁寧に、順序立てて、3歳児でも理解できる(主観的尺度)説明でゆっくりとその魅力を語っていたら、普段どんなことにも屈託なく笑顔で応じる彼女の顔から笑みが消えていた(実話)。笑顔ってどんな顔のことをいうんだっけ?――そんな根源的な疑問すら脳裏に浮かんだ。目の前の現実が受け入れられなかったのだろう。私の脳は、目の前に存在する彼女のその表情こそが本来「笑顔」と呼ばれるべきものなのではないかという合理化に走った。もちろんそんな合理化はできなかった。

 興味がない人に詳しく説明しちゃダメ、絶対。

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