【販売場所】
@入場受け付け後すぐ右手
備考:見えているけども有料エリアのもどかしさ。おとなしく見学を楽しみましょう~
「島原の乱=サムライスピリッツ」な我々の世代
前日の夜中にえっちらおっちら熊本からやってくること数時間、【みずなし本陣ふかえ】で仮眠を取り、朝の小鳥のさえずりとともに満を持してあの【島原城】へやってきた。記念メダルあるなしに関わらずここはぜひ訪れてみたかった場所なので(でもなければ来なかったと思うけど)、非常に楽しみにしていた。
なぜなら、あの「島原の乱」の島原だからである。島原の乱だよ? 天草四郎時貞だよ? サムライスピリッツじゃん?
ネオジオミニを買おうかどうか迷ったくらい、私はこのゲームをやり込んだ。いわば私の小学校時代を象徴するゲームである。私は「ストⅡ」派ではなく「SNK」派(というかネオジオ派)だったのである。ダウンロード全盛の昨今では考えられないことだが、昔はファミコンショップが乱立し、ファミコンショップの中には大抵2PLAYで100円のゲーム筐体が置かれていた(2PLAYできるというところがミソ。デパートの屋上とかのゲーセンだと100円で1PLAYが多かった。普通のゲーセンだと最新ゲームは1PLAY100円、古いのは1PLAY50円、みたいな感じ?)。ジャスコにだって置かれていた。あの大きなゲーム筐体がショッピングセンターや近所のおもちゃ屋、駄菓子屋に置かれているという一般人の生活に入り込むまでに市民権を得ていた時代があったのである。そこでなけなしのお小遣いを手に、1PLAYずつに魂(≒それ以後のジリ貧生活)を込めて……
【島原城】に行くことは、二十年以上の時を経て、あの頃の自分に逢いに行くことなのである。あの頃は「島原」なんてものがどこにあるかも分からず、そもそも現実に存在したものかどうかよくわかっていなかった。「天草四郎時貞」は隠れキリシタンでも一揆の統率者でもなく、「ひょおっ!」とか変な声を上げながらちょっと大きめの水晶球みたいな物で殴りかかってくる派手な格好をしたラスボスであった。
長き年月を超えて、我々はついに邂逅をなしたのである。記念メダルという仲介者によって……(仰々しく書こうとしてもどうしてもならないというグダグダな文章ね、これ)。
そんなわけで到着です
復元天守閣なので、目の前に専用駐車場がある。これが駐車料金1回320円掛かるはずなのだが、オープン10分くらい前に到着したら入り口のおじさんに「まだ天守閣が開いてないから、お金はいいですわ」と言われて無料で通される。早起きは三文どころか320円の得であり「ラッキー」と素直にウキウキだったのだが、よく考えると「天守閣がまだ開いてないから」というのは駐車場が無料になる理由としてはかなり謎である。もちろん文句なんてありませんが(いつも実施されるものなのかは謎なので、「オープン前に着いたのに駐車料金取られたし!」などと怒っちゃダメだぞ(^_-)-☆ヤクソク)。
さて、9時を回り天守閣の入り口が開かれた。中から出てきたのは武将の姿をしたスタッフで、「島原城」と書かれたのぼりを持って出てきてあたりに設置していくという、まさに絵に描いたようなオープン準備を始めた。それを横目でちらっと見た私は「また名古屋の『おもてなし武将隊』の二番煎じかぁ〜ƪ(˘⌣˘)ʃ」などとため息交じりで苦笑いだった——が!
「お、おんな……だと」
武将のいでたちをしてのぼりを立てていたのは、美しい黒髪をたなびかせた笑顔の素敵な女性であった。そう——島原城にいたスタッフさんたちは皆何らかの武将の衣装を身に纏い、そして全員女性であった。そして皆、かわいい。
なんてこった!(何が?)
私の中での【島原城】の好感度メーターが0.1ミリ秒くらいで振り切れた。
復元城だと……
全然オッケーd(^_^o)ダイスキ
たとえドン引きされようが、それが私の偽らざる気持ちである。だってみんな素敵だったんだもの。
こうして一人のおっさんはあっさりと相手の思惑にはまったのであった。。。
城内も意外に面白かった【島原城】。「ひょお〜」
【島原城】は復元天守閣なので、城内はお決まりの「博物館方式」である。パッと見、他の復元天守に展示されている物とほとんど区別がつかないようなどこぞの刀やら鎧やら掛け軸やらがなんとな〜くといった感じで展示されている。
が。
そんな中でも【島原城】が他の博物館型復元天守閣と一線を画すのは、「隠れキリシタン」に関する資料が豊富に揃っていたところである。これは【島原城】がもつ特異な歴史背景によるものであり、他では真似できない強みである。そしてこれらの展示は他にないだけにとても面白かった。
日本におけるキリスト教とは
日本におけるキリスト教の布教を描いた作品といえば、遠藤周作『沈黙』である。映画にもなりましたな。
あらすじとしては主人公の宣教師が精神的にも肉体的にもめっちゃ苦しむ話なわけなのだが(雑な説明)、その中で語られる「日本人がキリスト(教)に望むことと主人公が布教しようとするキリスト(教)の教えとのギャップ」が、この小説の一つのテーマとなっている(ような気がする)。
バテレンたちが広めようとする「神」という存在は、国文学的にいえば「永遠の同伴者」と形容されるような、いうなれば「許しを請う存在」である。一番わかりやすいのが「懺悔」という行為で、正直に自分の罪を告白して、神の許しを得るということだ。「永遠の同伴者」とは、つまり「あなたを見捨てませんよいつまでも」ということである。
対して、当時の貧しい暮らしを強いられていた農民たちに普及したキリスト教の形は、「今の苦しい生活から救ってくれる」という神である。神様に毎日お祈りして宣教師の言うことを聞いていれば、この苦しみから神様が救い出してくれる——というのが、農民たちが求めた神という存在の在り方なのである。そのため、作中で捕らえられた隠れキリシタンの農民たちが宣教師である主人公に向かっていうことは「神様はなぜこんな苦しい目に遭わせるんですか? 神様は何をしているんですか?」ということばかりである。
つまり非常に簡潔にいえば、主人公が説く神は「神様、お許しください」なのに対し、農民たちが求める神は「神様、助けてください」なのである。その埋められないギャップに主人公が悩み苦しむというのが、この作品の一つのテーマとなっている(たぶん)。「神とはそういう存在ではないのだ!」みたいによく悩んでいた(ような気がする)。
(※あくまで『沈黙』の中で描かれるキリスト教観の話であって、実際にキリスト教がどのようなものなのかというのは全然知りません)
タイトルにもなっている「沈黙」は、「あなたの下僕達ががこんなにも苦しい目にあっているのに、あなたはなぜ黙っているのですか⁉︎」という主人公の魂の叫びから来たものである。主人公は仲間が死ぬより辛い拷問に遭っているのを見せつけられ、そして絵踏み(棄教)を迫られる。そして心の中でそんな魂の叫びを上げたとき、目の前の踏み絵に描かれた稚雑なキリストが、ついに「沈黙」を破って主人公に語りかけてきた——というのが、物語のクライマックスであり、タイトルへとつながる場面である。キリストがなんと語りかけてきたのかを話すのはさすがに野暮なので控えておくので、気になる方はぜひ一度読んでみるとよいかと。
読んでから【島原城】にいき隠れキリシタンの資料を見ると、またいろいろと見方が深まるのではないかと思いますよ!
実は【島原城】にもっと近い「車中泊スポット」があった!
前述のように、私は【道の駅 みずなし本陣ふかえ】で仮眠を取ってから朝一番でここ【島原城】へと向かった。【みずなし本陣ふかえ】に行ってみたかったというのもあるが、【島原城】に近いというのが利用した一番の理由である。
が。
なんと、【みずなし本陣ふかえ】よりももっと——圧倒的なまでに【島原城】に近い車中泊スポットが存在したのである! それは——
【島原城】である。
なんと! 【島原城】駐車場にはキャンピングトレーラーが置いてあり、なんと(割と)格安で宿泊できるのだ! これにはまじでびっくりした。いや、駐車場について天守閣のオープンを待つ際、何も知らずにこのトレーラーの隣に駐車したためてっきり私よりさらに早く訪れた客だと思い「いーなー、キャンピングトレーラーで旅してんのか〜」と物欲しげの極地のような目線で見ていたのだが、まさか【島原城】のものだったとは‼︎
ことあるごとに何度か述べてきたが、私はかつてキャンピングカーを所有していた。あまりの楽しさに酷使しすぎて乗り潰してしまったので今はもうないのだが、キャンピングカーへの変わらぬ憧れ、車中泊へのひとかたならぬ想いは今だにこの胸の中にくすぶっていて、キャンピングカーフェア等があればついつい出かけてしまう。
とにかくいろいろなキャンピングカーに泊まってみたいというアグレッシブな気持ちをもっていて、中でも「キャンピングトレーラー」は自分では絶対に所有することがない(駐車場問題やら運転しにくいやら利便性やら)という点で、一つの憧れでもある。そのキャンピングトレーラーに泊まれるなんて
別に島原城でなくても泊まってみたい
という話である。最近、トレーラーハウスに泊まれる宿泊地が各地にポツポツと生まれつつあるのだが、それが基本的にどれも大型トレーラーなんだよね〜。そりゃあ広い方が良いだろうという発想なんだろうけど、広かったらただの「狭い家」であり、とても難しい矛盾をはらむことになる。キャンピングカーの醍醐味はそこではなく、その絶妙なサイズ感にあるのである、という私の趣味嗜好があるため(めんどくさい)、トレーラーハウスに宿泊できるというサービスはいまいちピンと来てなかった。高速道路のSA・PAでたまに見かけるキャンピングトレーラーもせいぜいこれくらいの大きさのものである。これこそ宿泊してみたいトレーラーハウスなのである。
しかし、これは良い。
これだよこれこれ〜、という現実的に所有ができそうなサイズ感のトレーラーなのである。このサービスがあることを知っていたら、私は間違いなく予約していた! そしてこのブログ記事も、恐らくもっと充実した内容となっていたことだろう。
やはり何事も「事前学習」というものが重要であることをしみじみと痛感する旅となった。。。
記念メダルについて
基本的に城メダルのデザインにハズレはない。それはデザインセンス云々というよりも「城」という建造物がもつデザイン的な魅力に由来するところが多い。「城をきちんと描いておけば、とりあえず絵になる」というお手軽な素材なのである。
その代わりに、「どれがどれかわからない」という欠点もある。名前を示されていなければ、メダルに描かれた城の外観だけを見てこれが何城か分かるという強者は少ないことだろう。私はたぶん一枚もわからない(そのうち特集ページを書こうかな。予定は未定)。
そんな中で、この【島原城】のデザインは、他とは一線を画すデザインとなっており、とても好印象である。「ウチは城だけじゃないんだ! 隠れキリシタンだってあるもんね〜!」と言わんばかりの磔キリストの降臨である。またこれにより「和と洋の対比」という構成上の妙も演出され、非常に面白い図柄となっている。
が、それだけに留まらず、「え、やる気なくなっちゃったの?」と言わんばかりの裏面デザインが私たち記念メダラーを惹きつける。「世界の願い 交通安全」である。「えっ、何? どうしたの急に?」という唐突さで世界規模の強大さで交通安全を訴えかけてくる。いや別に交通安全を願うこと自体は良いことだとは思うのだけど、なんか「そんな話、今までしてたっけ?」というなんともいえないハテナが心の奥の方にくすぶる。なんかこう、「交通安全」に限定しているところがなんともいえないのである。「世界平和」とかならきっとここまで「う、うん……」みたいな想いにはならなかったと思うのだが、たぶん。はい。
料理でもデザインでもなんでも、「一工夫を加える」ということが、他と差別化をする重要なことだと教えてくれる一枚である。
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