ある時期に、なぜかヤフオクやメルカリに大量に出回った記念メダルである。理由は不明。シンクロニシティというやつか!?
38ミリ(デカメダル)の茶平工業製記念メダルに非常に近いのだが、残念ながら一回りくらいこちらのメダルの方が小さかった。手にして造りを見たときは半ば茶平工業製であることをむしろ確信したくらいなのであるが、、、私の目が不確かなことは経済アナリストの景気予想と同じくらいであるなぁ。経済アナリストって、そんなに正確な分析ができるなら、自分が株式投資でもなんでもして稼げばいいのになぁ〜と思うのだが、その辺ってどうなんですかね? 同じような話で、育児書の著者は、自分の子供の育児を自著で述べているくらい完璧にやれていなかったら全く説得力がないと思うのだが、果たしてそんな完璧な育児ができているのだろうか。似た話では、教育学者は、自身が提唱するその完璧な教育方法をぼやぼやしていないで現場で実践して一人でも多くの不良生徒を救い出してあげればよいのに、学力格差をなくせばよいのにと思うのだが、そこんところどう思っているのだろうかーーと思っていたら、かの有名な「小木ママ」が「私、自分の子供の教育には失敗しちゃったのよ〜てへぺろ」みたいなことを平気でテレビで言っていたので、「自分の教育実践の失敗」=「自分の教育学の信用失墜」とは露ほども考えていないということがよくわかった。「ああ、やっぱりそんなもんなんだねー」としみじみと思った次第である。自分が教えていることと、自分がやったことというのは全くの別物だという意識が根底にあることになる。個人的には、なんだか都合がいいなー、と思うのであるが、この話は長くなるので終わり。
83年の夏の甲子園は、私の地元である神奈川県からは「横浜商業高校」が出場し、準優勝をしている。神奈川県の公立高校が甲子園の決勝まで進んだのは現在ではこのときが最後となっており(私立は横浜高校やら東海大相模やらが優勝すらしているが)、確かに私の幼少期は「Y高」(愛称)といえば神奈川県の高校野球界の雄であった。今では在りし日の姿はすっかりなりを潜めてしまっているが、県下公立高校の野球部では最大規模の部員数を今なお誇る。ぜひ古豪の復活を願ってやまない。私は基本的に「判官贔屓」を地でいく人間なので、「私立」<「公立」という考えで応援する。そして、どの地に引っ越そうと、高校野球は神奈川県を応援してしまうのである。こういうところに「地元」という意識って出てしまう。基本的に私は「地元意識」というやつはダサいと思っているのに。そんなアンニュイな話。
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