長野県【松本城】 記念メダル

 城なのに、黒い(しろなのに、くろい)――

 これは、私が松本城を見て発した第一声である。きっと、数多くの人間が同じことをこの場所でいい、同じように冷たい目をされてきたことだろう。

 なぜ人間は、親父ギャグというこの世で最も役に立たないもの生み出してしまったのか。

 その昔、親父ギャグは「諧謔(かいぎゃく)」と呼ばれ、尊ばれてきた歴史がある。代表的なのは「掛詞」と呼ばれるもので、和歌が盛んであった平安時代以前から、大切にされてきた文化の一つである。これはいわゆる「それはないよう。内容だけに」みたいな、同じ言葉だが意味の違う「同音異義語」にちなんだ修辞法である。『源氏物語』の世界では、こういうことが思い付く方が「いとをかし」(とても風情がある)だったのである。

 それがいつのころからか、「掛詞」は「親父ギャグ」と呼ばれるようになり、親父が忌み嫌われる意味をもつようになった。「いみきらわれる」だけに。

 しろなのにくろい、というのもまた、古語の修辞法としてあり得る表現である。パッと思い付く相応しい例が出てこなくて申し訳ないが、なんとなく思い付くのは『枕草子』の「中納言参りたまひて」という章段である(ニュアンスがかなり変わってくるかもしれないが)。これは高校国語の「古文Ⅰ」あたりによく収録されている話で、要点だけ説明すると、中納言がすごく立派な扇を持ってきて、「この扇はめちゃすげー。紙も良いけど、骨もすげーんだわ。こんなすげー骨見たことねー」と言ったら、清少納言が「見たことない骨なら、それは扇の骨ではなくて、クラゲの骨なんじゃないですか~うふふふ」と言って、みんなが「そりゃうまいこと言ったな! 一本取られたわ!」と大喜びするという死ぬほどくだらない話である。現代社会で同じようなことを言うのは酔っ払った親父か酔っ払ってなくてもウザい親父かのどちらかしかいない。現代の価値観では、たとえ思い付いたとしてもそういうことはいわないのが大人の嗜みであるとされることが多く、それがわからず自分でうまいこと言ったと思って自己満足で悦に浸る人間は周りから冷たい視線にされされているのも気づかないような親父である。

「いやー、あの映画は内容がないよう」

「この椅子、いーっすね」

 と意図せずして言ってしまったときの気まずさ。逆にすぐさま謝ることでなんとか笑いとする嗜み。そういったことが現代社会ではむしろ必要であり、清少納言のように「うまいこと言っちゃったという自慢話みたいになっちゃうけど、みんなが書け書けというから仕方なく書きました」といってその自慢話が1000年以上遺ると、むしろ恥ずかしい話として全国の高校生に読まれてしまう憂き目を思うと、文章が残るブログというものにヘタなことを書くものではないとも思ったりする。書くけど。

 自分の自慢話が、1000年の時を経てクソみたいな自慢話として読まれているとは思わなかっただろう清少納言のことを思うと、やはり酔った親父の自慢話に通ずるものを感じる。自分の武勇伝が素敵だと言われた若い時代があったのかもしれない。仕事で成果を挙げると周りから慕われる時代があったのかもしれない。しかし、いつしかそれは「だから何?」と言われる話となってしまうのである。

 で。

 【松本城】の話に戻すが、【松本城】は、とても良い城である。現存天守閣のある城としては最大級の大きさを誇る立派な城で、しかも黒いところが超かっこいい。他の城とは一線を画す荘厳さがある。

 これは自分の目で見ないとわからないだろう。訪れる前に松本が舞台となっている『神様のカルテ』などを読んでおくと、より松本という町を楽しく感じられること請け合い。

 

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