愛媛県【松山城】 記念メダル

 【松山城】は現存天守閣がある城である。お城まではロープウェイで登るのだが、そのロープウェイ乗り場で記念メダルは販売していたような気がする。気がするというのは、例によって城内部の記憶が全くないからである。ロープウェイは乗った記憶があるのだが……

 一生忘れない――と思っても、忘れるのである。それが人間という生き物。

 色あせないと思っていたことでも、いつの間にか色落ちがハンパない。人間の月日とは、ジーパンを洗濯機にかけるようなものなのである。いや、別にうまくない。

 そんなわけで、松山城に関しては語ることがほとんどない。その代わり、強烈に記憶に残っているのが、司馬遼太郎の著作を元に造られた「坂の上の雲ミュージアム」である。

 ここはもちろん『坂の上の雲』を読破してから訪れた方が楽しい場所であろうが、私は逆に、ここを訪れたから『坂の上の雲』を全巻読んだ。しかし、司馬遼太郎の著作物は、非常に面白い代わりに、読むのがとにかくしんどい。私は読書レベルは平均よりかは高い方だと思うのだが(読書レベルというのが自分で言っておいて謎だが)、面白いのだがなかなか読み進められず、合間合間に他の本を読んでしまい、全巻を読むのに恐らく2年くらいはかかったと思われる。しんどい人は、モッくん主演のNHKドラマの方で観る方がよいかもしれない。

 日露戦争の話で戦争物あるが、内容は非常に面白い。愛媛県松山の出身である軍人・秋吉好古、秋吉真之兄弟と、歌人・正岡子規の交流から物語が始まり、正岡子規は早々に物語から退場し、舞台は日露戦争へと移ってゆく。一介の軍人で会った秋吉好古・真之兄弟が、日露戦争において非常に重要な役割を担うようになる、という話が大まかなストーリーであるが、司馬遼太郎なので、例によって話があっちいったりこっちいったりと話が広がりまくる。司馬遼太郎といえば「余談だが……」は定番フレーズだが、「余談の余談だが……」「さらに余談を重ねるようだが……」なんてのもザラにである。

 私は大学受験は日本史選択であったので、参考書の日露戦争の項で、「秋吉真之」を初めて知った。今思えばなかなか右翼的な発想の参考書で、「秋吉真之がもしいなかったら、日本という国は今存在しない」とまで書かれていた。ただ、大げさではあるが、確かに日露戦争は大きな目で見れば侵略戦争であったので、単純に考えれば日本がもし負けていれば、日本はロシア領になっていたということになる。そういう意味では秋吉真之という人物がいなければ、日本海海戦での勝利はなく、少なくても日本は現在の形ではなかったはずである。その割には、大学受験レベルの勉強をしなければ出会うことのないマイナーな人物であるのだが。

 また、『坂の上の雲』では、高校現代文のド定番である夏目漱石の『こころ』で、明治天皇崩御の際に殉死をしたということで「先生」の心を大きく揺るがす存在として登場する「乃木希典」が生きた形で出てくる。ほんと無能とはっきり書かれて出てくる。日本陸軍の最大の不幸は、この男(と伊地知なんちゃらと)が指揮官として立っていたことである、と司馬遼太郎にけちょんけちょんにこき下ろされているのである。司馬遼太郎にここまで言われたら、乃木家子孫の方々はさぞ生きづらいであろう。

 ただし、注意が必要なのは、「司馬史観」という言葉が存在する意味である。「司馬史観」とは、文字通り司馬遼太郎の歴史観のことで、歴史学や文学の中でも、「注意が必要」という意味合いで使われる言葉である。

 司馬遼太郎は、バカ売れした人気作家である。だからこそ、広く一般にも読まれ歴史が深く広まったと言える。「新選組」の現代でもなお続く人気ぶりの源泉は、司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新選組血風録』がその一翼を担っていることは明らかであろうし、坂本龍馬という人物がそもそも世間に注目されたのは『竜馬がゆく』の功績が大きい。特に坂本龍馬は、歴史上長年埋もれていた人物であったと言われている。

 筆力のある人気作家の著作物は、一般市民に歴史の知識を広めたという点で、その功績は大きい。一方で、その著作に描かれる歴史観は、一作家の価値観でしかないとも言える。一作家の価値観が、読者の間にまるで自分の歴史観であるかのように根付いていくのである。現代風に言えば「テレビで言ってたからこうなんでしょ」と何の疑いもなくそれがまるで自分の考えであるかのように語る人がいることを思えば、想像がしやすいだろう。

 司馬遼太郎にアンチが存在するのはこの点で、特に乃木希典に関しては「司馬史観」の批判筆頭である。乃木希典は名将として東京に「乃木神社」なる神社まで建立されて祀られているくらいの、日本陸軍において重要人物であったのである(明治天皇殉死の件も大きいと考えられるが)。

 ただ、アンチの議論も大抵「司馬遼太郎の記述のここが間違っているから、他の記述も信用できない。だから司馬遼太郎のすべてが信用できない」という方向になりがちなのが残念である。一つ一つの検証のみにとどめるのが学問の在り方だと思うのだが、議論というものは「ここが違うから全てが信用できない」という極論になりがちである。

 話がだいぶだいぶ横道にそれたが、とにかく愛媛県松山は『坂の上の雲』の舞台となった街なので、行政もそれに乗っかってるよ、ということが言いたい。行政の乗っかり具合を表した一つに、原付のナンバープレートがある↓

 『坂の上の雲』の舞台となったので、ナンバープレートが雲の形なわけである。

 だが、はっきり言おう『坂の上の雲』に雲なんか出てこない、と。

 『坂の上の雲』の雲は、「坂の上よりさらに高いところにある雲のような存在であった欧州列強」を意味していて、そこに日本が挑戦したのが日露戦争というものだった、ということなのである。

 このナンバープレートを考案した人は、『坂の上の雲』読んでないんじゃね? と思った。ただ、このナンバープレートはかなり欲しい。というわがまなな乙女心。

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