@3階展望デッキ前
備考:世にも珍しい裏面のみカラー
のどかな空港
この空港の印象は、「飛行機、おらんやん」の一言に尽きる。「いや〜、地方だからさすがに飛行機の離着陸が少ないな〜」というレベルの話ではなく、私が訪れたときは本当に飛行機が一機もいなかったのである。
のどかも行き過ぎれば、見ていて不安になる。
飛行場の主たる収入源は飛行機の着陸料であるはずなので、全然着陸してないというのは、経営的に不安である。いつ訪れても何もレンタルされていなくて品揃え抜群のレンタルビデオ屋くらい不安である。
あまりにものどかの度が過ぎると、迷走し始めるようでもある。
これは本当に撮影スポットなのか⁉︎
もっと別の場所はなかったのだろうか? 背景にめっちゃタクシー入るやん。
これはターミナルビルを背景にしているというより、正面入り口を背景にしているだけなのでは。。。
もっと別の場所がなかったのか——その疑問は、すぐに打ち消した。
そんなこと、誰もが考えるだろう。
そうじゃない。「別の場所」を探し続けてたどり着いた先が、ここなのだ。
だから、このことについてはこれ以上言ってはならないのである。
今は亡きFリーグオリジナルエイトの一つ
フットサルに携わる人間としては、「いわて花巻」といったら「ステラミーゴいわて花巻」である。フットサルにはサッカーでいうところの「Jリーグ」に当たるもので「Fリーグ」というものがある。「Fリーグ」は2007年度に発足し現在でももちろん運営されているのだが、「ステラミーゴいわて花巻」は初年度から参戦したいわゆる「オリジナル8」のチームである。が、今はもうない(正確には東北リーグに参戦している一地域リーグのチームとなった)。
このチームは初年度に、Fリーグ発足から10年経ってなお唯一の「Fリーグ王者」である「名古屋オーシャンズ」に初めて土をつけたチームとして旋風を巻き起こした。が、その輝かしさはほんの一瞬、まばたきくらいの栄光で、とにかく負けまくった。負けて負けて負けまくって、全日本選手権では地域リーグのチームにも負けた。うまくいかないとすぐに監督を変える悪癖があり(ちなみに初年度の監督は勝てない原因について「選手のリミットを超えている」という名言を残して母国へ逃げ帰った)、うまくいかない→監督を変える→形になる前にまた監督を変えるという悪循環により、結局なにも形にならないままFリーグから消滅した。
このチームの特徴は、一にも二にも経営の悪さであった。初代監督以外は、監督や選手は与えられたものの中で結果を出そうと懸命になっていて、だんだんと一筋の光明が見えそうになってきた段階で、結果が悪いからと監督が交代されてまた一からの出直しを迫られていた。フットサル専門誌でも、その消滅の際して、「結局はすべてがチーム代表者に行きつく」という結論を書かれるという始末であった。
もちろん、関わった全員のみならず、しのぎを削るライバルチームの運営者たちでさえこのチームを良くしようと奮闘したのだが、最後までちぐはぐ感が満載であった。
「大人たちがみんな一生懸命やっても失敗する」という教訓をサッカー少年をはじめとした子供たちに見せた格好となった。同時に、私の中で「フットサルチームの運営」というものの難しさを見せてくれたものでもあった。
多くは語るまいが、私は当時県リーグに所属する競技フットサルのチームの運営に携わっていた。そこで痛感したのは、「公平」と「平等」の違いとその取り扱いの難しさである。チームが勝っているときはその問題が勢いだけで全て隠れてしまうのだが、負けが込むと一気に露呈し、今まで溜まりにたまっていたチーム内の不満が爆発する。人が団結するには「納得」の二文字が最重要なのである。「勝ち」にはそれだけで全てを納得させる強力な力があり、逆に「負け」には今まで納得していたと思われていたことをもひっぺがす剥離剤のような力がある。
「負け」とは、チームの存続をも危うくさせるクリティカルなものなのである。
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