邪道【岡崎城】 記念メダル


↓新旧記念メダル比較


【岡崎城】に関してはもはや語り尽くした感が否めないが、要するに好きじゃないというわけである。巨大な鉄筋コンクリート建造物はその辺のビルとなんら変わらないじゃん、という理屈である。その点、同じ愛知県の【名古屋城】にも同じことが言える。こちらはさらに冷暖房にエレベーター完備だし(ただしこの点が現在「バリアフリー」の観点で揺れているのだが。木造建築再建問題。今あるものを無くすというのはやはり難しいと思われる)。
岡崎城も名古屋城も好きではないが、名古屋城の目の前にある「名城公園」や城の外周コースは好きである。なんの話かって、ランニングの話である。城の周辺というのは、不思議とランニングコースとして人気であることが多く、昨今のランニングブームに乗って城側も距離を表示するなどランニンクゴースとして整備することも多い。特に名城公園のランニングコースは土ベースの膝に優しい周回コースで、10キロ程度はあっという間に楽に走れる。ダラダラで良いならなんならいつまででも走れる(気がしてくる)。唯一の難点は公園トイレにトイレットペーパーが設置されていないということであったのだが、最近、なんとランナーズステーションが出来たので、その不安もいっぺんに解消された。

↓名城公園内にある複合施設「トナリノ」の中に「さら名城」というランナーズステーションがあり、シャワーやロッカーが500円で借りられる。皇居周辺によくある施設と同じ。混むのは土日と「水曜日の夜」とのことで「なぜ水曜日?」と思ったら、そばにある愛知県庁のノー残業デーが水曜日なのだ!

ランナーにとってのトイレ問題はまさに文字通りで誇張なしの死活問題である。漏らしたら社会的な死を意味する。活きるために、死ぬような思いで我慢をするのである。当ブログで何度か語ったことがあるが、長距離を走っていると、不思議と大がしたくなる。恐らくお腹の中が揺れるからだろうと素人が医学的な予想を立てているがもちろん真相はわからない。真相はわからないが、事実として高確率でしたくなるので、ランニング前の大は準備運動よりも大切である。それを怠り、気を急いていきなり走り出したりしようものならノストラダムスの大予言はこのことをいっていたのか⁉︎と思うような地獄の苦しみが待っているのである。いや、マジで。
私はマラソン大会への参加が一つのライフワークであるので、つい先日も、「名古屋シティマラソン」という大規模マラソン大会に出場した。今年度も民間大会だけでなく様々な市区町村主催のマラソン大会に参加してきたが、このような都市型大規模マラソン大会に出場するのは数年ぶりで、すっかりその勝手を忘れていた。というかトイレが死ぬほど混むことを忘れていた。それは他の行政主催の大規模マラソン大会とは勝手がまるで違い、200箇所以上のトイレがあるのに大行列に並ばなければならないのである。また、「受付からスタートまでに2時間近く待つ」ということもすっかり忘れていた。都市型大規模マラソン大会において「準備運動」とは「二階から目薬」的な意味の慣用句として使われるのである。
当日も行列に並ぶことを想定して早くからきちんとトイレに行き、スタートを今か今かと待つこと2時間ーー2時間という時間は、人のお腹を冷やすのに十分すぎる時間であった。
ただもちろん、スタート前に今にも漏れそうみたいな状態であったなら、数々の修羅場をくぐってきた私であるので、たとえスタートに間に合わなくてもトイレに行くという英断を下したことであろう。しかしながら、私のお腹は「不安だけど大丈夫じゃね?」とそっと私に語りかけてきたのである。「そうだね。大丈夫だよね」と優しくお腹を撫でてスタートした私が下したのは、英断ではなくお腹だったことは言うまでもない(うまいこと言ったつもり)。
といっても、実際に大に行きたくなってきたのは残り2キロくらいのところで、そのうちの1キロは「まあ本当に我慢できなくなったらその辺のコンビニにでも入ろう」と常に歩道にコンビニを探しながらのランニングではあるがまだ余裕があった。真の地獄は残り1キロになってからで、いよいよ本格的に危機を感じ始めると同時に、「ここまで来たならゴールしてから行った方が良いのではないか?」という考えが生まれたのである。そこからの1キロは10キロをタイムを狙って走るよりもはるかに苦しい道のりであったのは言うまでもない。ゴールまであと500メートルの地点にあるコンビニに寄ろうかと迷ったほどの苦しみといえばその苦しさの一部でも伝わるだろうか。背中には常に社会的な死の影が忍び寄るーーそれが「大の失敗」、そう大失敗である(うまいこと言ったつもり)。
しかしそんな中、ラストスパートまでして無事ゴールをした私である。よく「トイレに行きたいパワーを走りに変える」などと軽口を叩く者がいるが、そんな都合の良いパワーなど出るわけがない。そこにあるのは「走っているからこそトイレに行きたくなったわけなので、早くトイレに行きたいがために急いで走るとより危機は大きくなる」というジレンマである。早くトイレに行きたいが、早く行こうとすればするほど生まれ出づる悩みはより大きくなる。人生とは常に選択を迫られるものなのである
そんなわけなので、ラストスパートまでした私は、ゴールした時には『今そこにある危機』を地でいく状態であった。

こういった大規模大会は、ゴールをした後にドリンクやらバナナやら様々な物がもらえるようになっている。先を急ぐ私にはこのときばかりはそれらのものがすべて行く手を遮る己の試練のように感じたが、それでも貰えるものは全て貰っておいたがめつい私。後にこのがめつさが己の身を助けることになろうとは、この時は予想だにしなかったーー
ゴール後の荷物を抱えて急ぎトイレに向かった私の目に飛び込んできたのは、控えめに言って絶望という二文字を体現した光景であった。
トイレは、長蛇の列であった。
終わった……ここでいっそ盛大にぶちかまして楽になろう……そう思った私の脳裏に、唐突に神の天啓が降りてきた。
ゴールは「瑞穂陸上競技場」であったのだが、実はその向かいには「瑞穂ラグビー場」なるものが併設されている。そう、ラグビー場の方へ行けばトイレが空いているのではないかーーそう思い至り、私は最後の力を振り絞って一路ラグビー場へ向かって一直線であった。大を我慢するばかりに恐らく私の走り方(というかもはや走れず早歩き)はどうみても様子がおかしいグネグネしたものであっただろう。それどころか、両手でしっかりと尻を締めながら早歩きをしていたので、傍目から見ても何がしたいのかは一目瞭然であっただろう。しかし、本当のピンチのときは、人にどうみられるかなど心底どうでも良いものである。考えられるのは「トイレ」ただその一点のみである。
私の予想通り、ラグジー場のトイレには誰一人いなかった。「神は私を見捨てなかった!」
狂喜乱舞したのも束の間、なんとトイレットペーパーがない! どう見てもない! そのとき目にとまった張り紙には「このトイレは24時間ご利用いただけますが、イタズラ防止のため、トイレットペーパーを設置しておりません。何卒ご了承ください」というとてもご了承などできない文言であった。トイレットペーパーがないということは、大に関してはむしろ24時間まったく利用できないということだぞ! とこの世の不条理を恨んだ。神(紙)は私を見放し給うた、と(うまいこと言ったつもり)。
しかしそこでまたしても私に天啓が降りてきたのである。先ほどのゴール後の景品の中に、ウェットティッシュがあるじゃないか、と。高校生が配布していたインターハイ開催のお知らせウェットティッシュが。紙(神)は私を見放してなかった、と(しつこい)。
それを手に、無事に用を足した私は天にも昇る気持ちであった。人生は我慢と苦労の先に幸せが待っているのだということを改めて学んだ想いであった。神のみもとに昇天するとはこのことか、と
が、しかし。
またしても神は私に試練を与え給うた。
ウェットティッシュだと思っていたものは、実は「汗拭きシート」だったのである。
つまり、スースーするのである
無論、ここまで来たらもはや引き返すことは許されない。私に選択肢など残されてはいなかったのである。一拭きするたびに焼けるような痛みが私を襲い、そしてその痛みを作り出しているのが他ならぬ自分であることの矛盾ーー人間とはかくも内なる矛盾を抱えて生きてゆかねばならぬものなのか。
激痛の果てに、無事すべての試練が終わった私の気持ちは、実に爽快なものであった。走った苦しみなどもはや遠い昔の思い出レベルの記憶しか残っていない。
結果的には、実に爽快な気分で会場を後にしたのだった。
……えーと、なんの話だっけ?

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